2008年2月29日金曜日

縁起の話

 2月26日に、いわき駅前の再開発ビル「ラトブ」で講演会が開かれた。同じビルの「インンキュベートルーム」に入居しているNPO法人シニア人財倶楽部(藁谷道弘代表)が発足を記念して開催した。

 講師は、いわき市平下平窪の浄土宗・安養寺住職鈴木東雄(はるお)さんだ。

 演題は「心豊かに『これからの自分流の生き方』」。自分の生い立ち、日本仏教の歴史、釈迦の思想に触れながら、仏教の根本理念でもある「縁起」について語った。

「野菜の種をまけば芽が出る。コンクリートの上にまいても芽は出ない。いい土壌がある。カラスに種をほじられなかった。そういう縁が重なって芽が出た」。たとえ話である。

 では、どうしたらいい縁をつかめるか。
釈迦の思想から鈴木さんは三つのことを紹介した。

①お布施をしなさい=お布施は金を包むことだけではない。笑顔のお布施がある。いたわりのお布施がある。感謝の心もお布施だという。
②戒を守りなさい=うそをつかない。生き物を殺さない、といっても人は野菜や肉を食べる。「ごめんなさい」の気持ちをもつ、等々。
③知恵をはたらかせなさい(これは言うまでもないことだろう)。

「笑顔のお布施」はなにも大人だけの話ではない。幼子が人を見てにっこりする。それもまたその人へのお布施だ。
結びの言葉は「いい縁起のある生活を」。あらためて縁起を考えるきっかけになった。

2008年2月28日木曜日

平・塩の白鳥


冬場は早朝の散歩を休みがちになる。

たとえば、6時。
まだたっぷりと暗い。
ついついふとんを背負ったヤドカリになってしまう。

でも、光の春と寒さの冬の綱引きが始まった。
防寒対策も山場を越えた。

冬の始まり――。手袋をする。少し日がたつとマフラーを巻く。耳あてを調達する。鼻水が出始めるころには、マスクが欲しくなる(マスクをしたら眼鏡が曇った)

それを今度は逆にはがしていく。
春の始まりだ。

散歩をする理由は、第一にはメタボ対策。
第二には、いわき市平・塩の夏井川で越冬しているコハクチョウと対面するため。
第三には、朝の澄んだ空気を吸っていると体内の酒毒が薄まるような気がするため。

この冬は、それでなんとか朝の散歩をやり続けた。

ハクチョウたちの行動もたっぷりと見た。
コクチョウ(黒鳥)もしばらく滞在して、アマチュアカメラマンの格好の被写体になった。この迷い鳥は、水戸・偕楽園そばの千波湖で繁殖したうちの1羽ではないか、というのが「鳥見人(トリミニスト)」の見解のようである。

平・塩のさらに上流、平・平窪のハクチョウ=写真=は早くも北帰行を始めたらしいという。ピーク時で470羽、数日前に430羽いたのが、2月26日朝には320羽に減ったという。

人間の体感では「寒さの冬」が勝っているが、生き物たちはいちはやく「光の春」を感じ取っている。
平・塩のハクチョウたちも順次北へ飛び立ち、翼をけがして飛べない3羽(左助・左吉・左七)がまた、今年も残されることになるのだろう。

2008年2月27日水曜日

君は歩き出した・続き

孫のよちよち歩きの写真を見て思い出した詩がある。
20年前、勤務していた新聞社の正月版に書いたものだ。

「一生」という題が付いている。原文は散文詩風だが、ここでは行分けにして紹介する。


君は生まれた
君ははいはいを覚えた
君はまだあどけない獣だ
君は立ち上がる
君は土のにおいを知った
太陽と海を知った
遠く近く
立ち止まったり
振り向いたり
後戻りしたりした
君はそれから鳥や虫を眺め
羊雲を追いかけた
風にくるまれた
自分では歩けない別の君がいることも知った
花を摘んだ
百葉箱のわきで
五線譜の上で胸がときめいた
しぼんだ
道はあったりなかったりした
長くてつらい夜も
たった一人で
どこまでも行かねばならない時もあった
君は何万回も笑い
歌った
泣いたり
怒ったりした
そしてそれ以上に歩いた
電車のように家族を連結して

歩くのに疲れたら夕日を見よう
静かに深呼吸をしよう
生きてきたことのあれこれを
歩いて来た道のりの長さを思い出しながら

でもそれで終わるわけではない
君の次の君が
そのまた次の君たちが明日また歩き出す
砂漠を街を森を海辺を
そのざわめきが聞こえてくる
星雲へと帰るかろやかな足取りの君に
さあ乾杯!


孫は「まだあどけない獣」(チンパンジーの子供と変わらない)、私は「歩いて来た道のりの長さを思い出しながら でもそれで終わるわけではない」と考えている、といった感じか。

2008年2月26日火曜日

君は歩き出した

 いわき市民美術展(写真の部)で「君は歩き出した つたなくもその未来へ」
というタイトルの写真を見た。歩き始めたばかりのわが子の後ろ姿を望遠レンズでとらえた作品だ。幼子のそばに母親が立っている。母親は足が写っているだけだ。それほど幼子は小さい。

 早春の光に包まれた戸外で、着膨れた男の子が、今まさによたよたと歩き始めた。「そら、がんばれ」。思わず声をかけたくなるような一瞬を切り取っている。

 白状するが、幼子は私の孫である。
 
ちょうど10カ月を過ぎたところだ。
9カ月目で歩き始めたという。

毎週わが家へ孫がやって来る。
私の顔を見ると、泣く。いつも泣くわけではない。が、たいがい火のついたように泣く。
「怖い顔が分かるんだわ」とカミサンは言う。
そのたびに、私は戸惑い、うろたえる。

先日もそうだった。
私が魚屋へ行っている間に、孫が父親に抱かれてやって来た。新米祖母は孫を抱っこしてご機嫌である。
そこへ私が帰って来た。
玄関の戸を開けると、まともに孫と目が合った。見る見るうちに孫の顔がゆがみ、シクシクし始めたと思うと、大泣きが始まった。
万事休す、である。

でも、泣き疲れると緊張感がほぐれるのか、あるいは私を家具の一部とみなすのか、5分も過ぎれば私の顔を見ても泣かなくなる。笛を吹いてやるとにっこりする。

きずなが強いからこそ泣くのだ。大きくなったら、同志のような関係になれるだろう――と、少し負け惜しみ気味に思うこのごろだ。(つづく)

2008年2月25日月曜日

漫画「しずく」

 某政党機関紙の日曜版に、「おだれいこ」という人の漫画「ニアレトロ物語 しずく」が連載されている。サブタイトルに<⑧アンゴラウサギ>(2月24日号)とあるから、今年(2008年)になってスタートしたのだろう。

 たまたま2月17日号をパラパラやっていて、びっくりした。私らがふだん使っている「いわき語」、それが画面を飛び交っている。

 2月24日号で言えば、「これいいべー」「そだごど言いにきたのがァ」「みんなでわけっぺ」「兄(あん)ちゃーんどこさ行ぐの」「近道すっぺ」等々。

 日曜版のホームページによると、主人公の「しずく」ちゃんは小学校3年生。「出会いや事件を通じて芽生える心持ちや新たな発見。懐かしい元気な日常生活を描きます」とある。

肝心なのは、この漫画の舞台である。
「昭和30年代の東北地方」――とくれば、これはもう今のいわき市だろう。いわき市でなくとも、いわきと同じ文化圏の双葉郡、あるいは田村郡のどこか。現実の舞台を探すとすると、そうなる。

実際、私が子供のころ(昭和32年に小学校3年生だった)は登場人物と同じように集団で遊び、口げんかをし、言うことをきかずに、よく親にしかられたものだ。

ただ2月24日号では、年長の「さち子」(小学校6年生)は「ぺぇ・べぇ」言葉のほかに、こんな言葉も使っている。「しずくちゃん、また今度遊ぶべない」。「しずく」ちゃんの「母ちゃん」も「悪(わ)りがったない」。

浜通りの「ぺぇ・べぇ」言葉は、阿武隈高地を越えて中通りに入ると「ぱい・ばい」言葉に変わる。「んだべ」(そうだろう)が「んだばい」のように、語感がやさしくなる。この漫画でも「さち子」と「母ちゃん」は、まわりの人間をふんわり包み込むような温かさを持っている。

私は阿武隈高地で生まれ育った。中通りの「んだない」(そうだね)「んだぞい」(そうだよ)も、浜通りの「んだべ」「んだっぺよ」も、だからすんなり入ってくる。

ところが、平っ子のカミサンは漫画に出てくる「遊ぶべない」「悪りがったない」を、「いわきでは使わない言葉だね」と言う。その通りかもしれない。が、同じいわき市でも田村市や小野町に近い山間部へいくとどうだろう。「んだない」を聞いたことがあるような気がする。

そうだとしたら、漫画の舞台はいよいよ「浜通り寄りの阿武隈高地」となろうか。

わが原郷でもある「阿武隈高地の物語」――そんな位置づけでこの漫画をウオッチし続けようと思う。

白菜の切り漬け


漬物をつくる。カミサンは「趣味でしょ」という。趣味かもしれない。が、趣味とも違うような気がする。そこは私にもよく分からない。

冬場は白菜漬け。春が過ぎて初夏が来ると、糠(ぬか)漬けだ。
何年か前までは糠床を腐らせたり、しょっぱい白菜漬けになったりした。

失敗は成功の母なんて、よく胸の内で反芻したものだ。

夫婦2人で食べる糠漬けと白菜漬けは、高が知れている。
それは分かっているのだが、どうしても多めにつくってしまう。

で、「誰それにあげたから」と言われると、本当はうれしいくせに、怒ったりする。「このバカ」と、あとで自分を責める仕儀になるのがいつものパターン、といってもいい。少しは漬物にこだわっているのだ、それを分かってくれよ、と言いたいのである。

 この前、田村市常葉町の実家へ帰ったら、いつもの白菜漬けではない白菜の漬物が出た。
義姉(ねえ)さんに聞いたら「切り漬け」だという。「白菜漬けは、時間がたつとすっかくなるからね。夫婦2人が食べる分にはこれ(切り漬け)がいいの」

そのレシピ――。

白菜1株の場合、
① 生の白菜をざくっと切る
② ニンジンと大根をせん切りにする
③ からし菜(あれば)を刻んで彩りにする
④ ニンニク1かけらをみじんにする
⑤ ①~④に適量の塩と糖尿病患者用の「新砂糖」(耳かきで2杯)を加えて混ぜ合わせ、重石をのせる。

すると半日もたてば、ほのかに甘く、うまみがあってやわらかい切り漬けが食べられる、という。

わが家に帰って数日後の朝、台所に立った。
白菜は家庭菜園で栽培したものがある。ニンジンと大根、ニンニクもある。からし菜はないから、代わりにしおれかけた水菜を彩りに添える。

塩は白菜漬けと同じく白菜の重量のほぼ3%にして、「新砂糖」を小さじに半分加え、全体を混ぜ合わせて重石をのせたら、昼には水が上がって食べられる状態になった。

早速、口に入れると――。
ん!? 白菜を包丁で切る代わりに手でちぎって漬けたために、かめばかむほどスジが口の中にたまる。ニンニクもちょっときつすぎたようだ。

「意味のない思いつきは避ける」
またしても新しい教訓が加わった。

とはいえ、さっさっと漬けてさっさっと食べるには、いいやり方かもしれない。「朝漬けたから〝浅漬け″だ」なんて言ったら、「フフン」と一蹴されてしまいそうだ。

氷かき



朝(2月24日)起きると、庭の車が雪をかぶっていた。
晴れてはいるが、風が強い。典型的な冬型の気圧配置になったようだ。

24日は日曜日。夏井川渓谷の牛小川(うしおがわ))にある無量庵へ行く日だ。普通は土曜日に行くのだが、23日は強風と寒さに負けて、平の自宅でけんちん汁(豚汁)をつつきながら焼酎をあおって、寝たのだった。

車の雪をはらいながら、道々の積雪状態を想像する。
<夏井川渓谷まではノーマルタイヤでもなんとか行けるだろう>
昨秋、ガソリン食い虫の「パジェロ」から優等生の「フィット」に切り替えた。
燃費はいいのだが、突風が吹くとひっくり返るのではないか――そう思わせるほど、車体が軽い。その軽さにまだ気持ちがなじんでいない。

自宅を出ると、西に阿武隈高地の山並みが見える。思ったより冠雪量が少ない。

夏井川に沿って国道399号を、小川からはさらに県道小野四倉線を進む。

渓谷の入り口に当たる高崎(小川町)あたりは、路面に雪が積もっているが、アスファルトが見えないほどではない。いわば黒服の上に薄い白絹をまとった女性のような風情だ。

JR磐越東線の「上小川」トンネルに接する「磐城高崎」踏切を過ぎると、地獄坂だ。進行方向左側が杉林になっている。圧雪状態なら一番厄介な場所である。
意外と雪が少ない。杉林が防風雪の役目を果たしたようだ。杉の枝が道路に散乱しているが、これも「滑り止め」の役に立っている。

坂を越えると渓谷である。

日なたと日陰が交互に現れる。
道路の雪は薄かったり濃かったりする。
車の速度は20~30キロ。
通常の半分だ。
対向車もソロリソロリとやって来る。
いうならば、スロードライブである。

渓谷最大の難所は江田(えだ)の手前、香後(こうご)と釜ノ平(かまのだいら)の境にある急カーブ。
ここには冬場、滑り止め用の砂が常置されている。
何年か前、この急カーブがカチンカチンのアイスバーンになっていて、パジェロでもハンドルを切るのに苦労した。そんな記憶がよみがえる。
やはり雪が積もっていて、アスファルト路面が見えない。とはいえ、積雪は2、3ミリあるかないか。車がすべるほどではない。

急カーブを過ぎれば、無量庵のある牛小川まではすぐである。
江田と椚平(ぬぎだいら)の集落を通り過ぎると、「籠場(かごば)の滝」。牛小川の入り口である。

そこからほどなくして牛小川の集落に着く。

 無量庵は県道沿いにある。
門にチェーンが張られてあるので、カミサンがチェーンをはずすのを待って、車を入れる――というのが、いつものパターンだが、今度は違った。
アクセルを踏んでもタイヤが空回りする。無量庵の前だけ道路がシャーベット状になっていたのだ。
何度かアクセルを踏んでいるうちに、やっと車を無量庵の庭へ入れることができた。
最後の最後になって、体に力が入った、というわけだ。

そのままにしてはおけない。
竹ぼうきで雪かきを始める。シャーベット状の雪は、ほうきなんかではがれるものではない。
<何かいい手はないものか>
ひらめいたのが、竹の熊手である。

道路のシャーベットは圧延状態ではなく、かけらがちらばって固まったようになっている。電線や木の枝に着いた雪が落っこちてシャーベット化した、そんな感じである。

それを熊手でかきとる。
根っこを生やした草ではないから、気持ちよいくらい簡単に氷がはがれる。
ガリッ、カラカラ。
ガリッ、カラカラ。

竹の熊手で氷かき。
生まれて初めての経験だ。

もっとも、渓谷の上に太陽があらわれ、ビーム光線を浴びせると、道路の雪はたちまちのうちに溶けてなくなった。
太陽のありがたさを実感しながらも、「熊手で氷かき」の愉快さにひたった一日だった。