2008年3月27日木曜日

三春ネギの話(つづき)


3月23日に書いた「三春ネギの苗床」のつづき。

『福島県農業史 4各論Ⅱ』にネギの記述がある。それによると、ネギは福島県内でも古くから栽培されてきた。「いわきネギ」「源吾ネギ」「阿久津ネギ」などの品種が育成され、普及しているという。

この「いわきネギ」は、現在栽培されている「いわきネギ」のことだろうか。それとも古い地ネギのことで、現在の品種とは違うのではないか――そんな見方もできるが、未調査なので深入りはしない。

「三春ネギ」を調べるには、まず『三春町史』に当たらなければならない。詳細な記述があればそれで終わり、それでよし。が、どこをどうめくっても「三春ネギ」の記述がない。
「三春ネギ」をめぐる探索の旅はここから始まった。旅は今も続いている。
これはだから、単なる推理に基づく経過報告に過ぎない。

手がかりは二つある。曲がりネギであること。甘く軟らかく、香りが高いこと。
それを基本に、田村郡三春町のスーパーでネギ苗(店の人に「田村ネギ」と言われた)を買って定植したことがある。同じく田村市常葉町のスーパーでも曲がりネギを何度か買って、植えたり食べたりした。

須賀川市の「源吾ネギ」は「岩瀬郡浜田村(現須賀川市)の安藤源吾が昭和3年(1928)に『合黒一本太ねぎ』から選抜したものといわれ、肉質が軟らかく、香気があり食味が優れている。また、分けつが少なく軟白部が太く栽培しやすい。定植時に伏(ふせ)込んで植えるため、軟白部が曲がるため別名『えびねぎ』の名がある」(『福島県農業史』)。特徴は共通しているが、須賀川市である。「三春ネギ」との関連はひとまず脇において考えねばなるまい。

郡山市の「阿久津曲がりネギ」はどうか。去年は「秋の好天に恵まれ、特有の甘く、柔らかく、風味のいい三拍子そろったネギが育ったという。収穫の最盛期は2月末まで続き、主に県内のスーパーで販売される」(07年12月8日付福島民報)。これも形や食味で共通しているように思われるが、郡山市である。「三春ネギ」と関連づけるのは強引過ぎるだろう。

ここで探索の旅はしばらく停滞した。暗礁に乗り上げた状態といってもいい。
光が差したのは「岩城街道」を調べていたときだ。

岩城街道の着点は磐城平城下である。起点は①須賀川宿の奥州街道分岐点②郡山宿大町辻③本宮宿舟場④その他(「『歴史の道』岩城街道 本宮―平」福島県教育委員会)とあり、「郡山より三春まで」の項に「阿久津問屋」の記述が見られる。それで、阿久津は阿武隈川東岸(右岸)の村だということが分かった。江戸時代には、そこに会津荷専用と郡山出しの2軒の荷物問屋があった。阿武隈川は船で渡った。

阿武隈川東岸といえば、これはもう田村郡である。今でこそ郡山市西田町阿久津だが、同市に吸収合併されるまでは、阿久津は田村郡西田村に属していた。三春町とは地続きもいいところだ。

「阿久津ネギ」は生産地は変わらないが、行政的には「田村郡」から「郡山市」に変わった。もともとは「田村のネギ」だったのだ。隣接する西田村と三春町で生産されたネギだから、「三春ネギ」(知名度の高い方が売れる)となったか。そうだとしたら、ストンと腑に落ちる。

――夏井川渓谷(いわき市小川町上小川字牛小川)の集落=写真=で栽培されている「三春ネギ」のルーツを探っているうちに、ようやく「阿久津ネギ」あたりまでたどり着くことができた。両者の関連性は、私のなかでは無論、不明である

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