2008年3月18日火曜日

会津の雪つり


高速バスでいわき市から会津若松市へ行った話の続き。

鶴ヶ城と福島県立博物館に近い「鶴ヶ城・合同庁舎前」が、「いわき・郡山・若松線」の終点だ。バスを降りて歩き始めた瞬間、「なんだ、これは」と目を奪われたものがある。

「裁判所」(福島地裁会津若松支部)の生け垣に細い竹のすだれがかかっていた=写真。園庭の木にもこずえから縄が張られてあった。単純に縄で縛ったものもある。雪国特有の「雪囲い」と「雪つり」だ。

裁判所だけではない。県博では、生け垣を覆うように鉄パイプを支柱にして板が張られてあった。まだその上に雪が残っているところもあった。

<よかった、いわきに住んで>。ほとんど反射的に思った。
雪国には雪国の文化がある。それを認めたうえで、コケが生えるほどいわきに住みついてしまった人間には、秋の終わりにしなければならない冬の備えがこたえる――そう直感したのだった。

福島県は風土や歴史、人間の暮らし方などの違いから、大きく地域が三つに分けられる。西から山脈を境に「会津」「中通り」「浜通り」と続く。

私は真ん中の「中通り」で生まれ育った。そこから15歳で「浜通り」の平市(現いわき市)へやって来たとき、「平には冬がない」と思ったものだった。
春・夏・秋ときて、ちょっと寒い秋の次に、再び春がくる。それが私の感じた「浜通り」、つまりいわき市の季節感だった。
雪国からいわき市へ嫁いできた女性たちの言葉も、いわきの冬の気象のありがたさを物語る。「冬でも洗濯物が干せるんですものネ」

いわきに住んでいることは、太陽の恵みをたっぷりいただいていることなのだと、私たちはどのくらい自覚できているか。
会津行の翌17日、会津に春の訪れを告げる「彼岸獅子」が会津若松市内で繰り広げられたという新聞記事を読んで、春を待望する会津の人々の気持ちが少し分かったような気がした。

「暑さ寒さも彼岸まで」などという一般的な受け止め方ではなくて、彼岸獅子を目にすると、「もう雪かきや雪下ろしをしなくてもすむ、本当に春が来たのだ」と体が反応するのだろう、おそらく。

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