2008年5月31日土曜日

糠漬け再開


大型連休に入るあたりのある日、塩のふとんをかぶって冬眠していた糠味噌を、「おい、起きるんだよ」と胸の内で言いながら目覚めさせる。甕に入った糠床は米糠がはぐくんだ乳酸菌の宝庫。微生物が生きている「浅漬けのベッド」である。

アイスピックでガチガチになった塩のふとんにひびを入れる。塩のかけらを、そろりそろりとはがす。糠味噌に手を突っ込んでかきまわす。糠床は冷えびえとしている。それから、糠床に新しい糠や塩やタカノツメを加え、ダイコン葉などを捨て漬けにしたあと、同じダイコンの白根を四つ割りにしたのを入れる。糠漬けの再開だ。

冬の白菜漬けと違って、糠漬けは「漬ける」というより「入れる」、そしてキュウリなどは次の食事時間に「すぐ取り出す」=写真=といった感じが強い。物によってはそんな早さで食べごろになるから、頭は絶えず野菜と糠床を思いやっていなくてはならない。

最近、いわき総合図書館から借りた本を読んで分かったことがある。福岡県は糠漬けの本場だという。それが米とともに東へ、東へと伝わって、東北地方のいわき(その先まで行っているだろうが)まで糠漬け文化がやって来たのだ、おそらく。

年中、糠漬けができる九州と、冬は糠床が冷えるためにたくあん・白菜漬けに切り替えるしかない東北と、地域によって漬物文化のかたちは異なる。阿武隈高地のわが実家には、糠床はなかった。夏は味噌漬けと、そのつどつくる塩の浅漬けだったに違いない。

糠漬けは水稲を起源とする「弥生文化」。ゆえに「米の道」は「糠味噌の道」だった、と言ってもいいのではないか。九州に住む作家梨木香歩さんが「糠床小説」(『沼地のある森を抜けて』)を書きおろしたのも、濃厚な糠漬け文化と乳酸菌にそそのかされてのことに違いない。

「――その昔、駆け落ち同然に故郷の島を出た私たちの祖父母が、ただ一つ持って出たもの、それがこのぬか床。戦争中、空襲警報の鳴り響く中、私の母は何よりも最初にこのぬか床を持って家を飛び出したとか」(『沼地のある森を抜けて』)

糠床は非常時に、真っ先に持ち出す家宝である――100年も、200年も同じ糠床を使っている家では、そうらしい。

0 件のコメント: