2008年6月10日火曜日

地域の環境美化力


ゲーテが死ぬ直前に書いた詩に「市民の義務」がある。4行詩だ。

銘々自分の戸の前を掃け
そうすれば町のどの区も清潔だ。
銘々自分の課題を果たせ
そうすれば市会は無事だ。

ゲーテは詩人にして政治家。ヴァイマル公国の宰相として、さまざまな社会施策を実施した。自治体の首長が「市民と行政の協働作業」をいうときに、いつもこの4行詩が頭に浮かぶ。

「戸の前を掃け」。少なくとも団塊の世代までは子どものころ、朝起きると「竹ぼうき」(私は「高ぼうき」と記憶している)を持って家の前の道路を掃いた、つまり親に「掃け」といわれた経験があるはずだ。わが生まれ故郷の田村市常葉町は「銘々自分の戸の前を掃いたために、町のどの区も清潔だった」。今もそうだろう。

都市化が進んで田んぼや畑が宅地になり、新たな住民が加わって流動化したところはとなると、しかし様相は一変する。新住民は根っこが生えているわけではないから、地域への愛着心は薄い。お祭りにも縁がない。旧住民の隣組に新住民が加入することもまずないから、両者が溶け込むのは至難の業だ。せいぜい子供が小さいときにPTA活動をして知り合えればいい方だろう。

そんな関係もあって、地域のことでできることは自分たちでやろうとなるよりは、何かあればすぐ役所にやってもらおうという風潮が強まる。「すぐやる課」があったのは松戸市、課までは設けなくとも「すぐやる予算」(スピード処理費)を計上した役所もある。税収が右肩上がりの時代の施策ではあったが。

で、カネがなくなると徐々に「協働作業論」が浮上する。道路や公園の清掃美化などで役所が住民に維持管理をまかせる動きが広まってきた。その延長なのかどうか。ある日の朝、いつものように夏井川の堤防経由でいわき駅前へ向かっていると、近所の知人などが出て河川敷の草刈りをやっていた=写真。役所から借りたと思われるタイヤつきの草刈り機も稼働していた。

「役所から頼まれて草刈りをしたのですか」。あとで旧住民の知人に聞いたら「そうではない。毎年地元の人間が自主的にやってるので、手伝いに行った」。大きくは区の中の河川敷、それを「竹ぼうき一本の精神」で自主的にきれいにしていた、というわけだ。別の日、あるいは「春のいわきのまちをきれいにする市民総ぐるみ運動」に合わせて、「銘々の区」で堤防の草刈りをやったために、一部を除いて堤防がすっきりした。

その意味では、延べ20万人以上が参加する年2回の「いわきのまちをきれいにする市民総ぐるみ運動」は、他に誇りうるいわき市民の大きな財産(ソフト事業)、と私は思っている。少なくとも地域の環境美化力は健在だ、「竹ぼうき一本の精神」はまだまだ地域に息づいている――それが目に見える形で確かめられるのだから。

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