2008年6月24日火曜日

ちょっぴりキャンドルナイト


土曜日(6月21日)の夏至の夜、キャンドルナイトを意識して、1時間ほど電気を消した。食卓にろうそくをともすと、小鉢や皿や茶碗に長い影ができた=写真。部屋の四隅は暗くても晩酌には支障がない。

焼酎に酔いながら、50年前の小学4年の春休み、一人で母方の祖母の家へ泊まりに行ったときのことを思い出した。阿武隈高地の都路村(現田村市都路町)は鎌倉岳の東寄りのふもと、小集落の奥に祖母が住んでいた。家の明かりはランプ、そして寝床はあんどん。当時は個人の自己負担が大変だったらしく、たった1軒のために電柱を立てて電線を引っ張る、などということは考えられなかった。その意味では毎日がキャンドルナイトだった。

現在の国道288号から山手へ向かう坂道を上って右に曲がり、畑(あとで田んぼになった)の真ん中にある小道を行くと、少し高くなったところにかやぶき屋根の家があった。祖父母の隠居家である(母屋はなぜか国道288号を下って、歩いて30分はかかるような場所にあった)。物心ついたころには、祖父は寝たきりになっていて、やがて死んだ。

集落の前の道路にバス停がなかった時代、親が知り合いの運転手に頼んで特別に降ろしてもらうのだが、それができなったときはずっと下の停留所から歩いて戻らなければならなかった。子供にはこれがきつかった。

家が見えるあたりから「来たよー」と大声を出す。すると、祖母が家から顔を出す。帰るときには逆に、小道を歩きながら振り返り振り返り「さいならー、また来っからねー」と大声を出して祖母に手を振る。祖母は家の前からずっと孫の姿を見送り続けた。

隠居家の右手には、上の沢から木の樋で水を引いた池があった。そこで鍋釜や食器を洗った。ご飯つぶを食べるコイもいた。池の水が流れ出る先は小さな林で、その中の小流れで笹舟を流したり、木の枝で水車をつくったりして遊んだ。

祖母の隠居家ではいろんなことを経験した。

母親に連れられて行った三つか四つのころ、夕食を食べようというときに、ゆるんでいた浴衣のひもを踏んで囲炉裏の火に左手を突っ込んで大やけどをした。野口英世と同じ「てんぼう」になった。左の小指と薬指のまたが今も癒着してちゃんと開かない。30代のときに切開手術をしてもらったが、あまり効果はなかった。

あんどんを消して真っ暗闇になったとき、突然、死の恐怖に襲われたこともある。「少年サンデー」か「少年マガジン」が創刊された直後だ。死んで埋められた人間が生き返ることがある、なんていいかげんな記事が載っていた。そのために、棺には地上から空気を供給するパイプがなくては、などと真剣に思い悩んだ。

夜の向かい山で鳴くキツネ。箱膳。ちょうちんを提げて入った外風呂。沢の土手に頭を出したフキノトウ。ナイフでつくった木の刀。豆柿。スズメの罠。――山中の一軒家で見聞きし、体験したことが、一気に夏至の夜のろうそくの明かりの中から現れ出てきた。

毎日がキャンドルナイトでスローライフだったあのころ。そうだ、祖母はキセルで刻みたばこをのんでいた。今、急にそれを思い出した。こっそりまねをしてむせったたことも。

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