2008年8月5日火曜日

じゃんがら体験プロジェクト


日曜日(8月3日)にいわき市暮らしの伝承郷で、いわき地域学會主催による「いわき学・じゃんがら体験プロジェクト」が開かれた。昨年に続く開催で、学習管理棟で50分の講義を3コマこなしたあと、民家が立ち並ぶ園内のお祭り広場で実技「じゃんがらを一緒に踊ろう」が行われた。

菅波(すぎなみ)青年会が「じゃんがら念仏踊り」を実演し、そのあと青年会員の指導で受講者が手踊りを学んだ。踊りだけ体験したいという人もおり、予定時間の午後1時半になると、お祭り広場には結構な数の人が集まった。

この日は、アジアや南米10カ国から小名浜の港づくりを学びに来た「港湾開発・計画研修員」14人の歓迎事業が実施され、実技と同じ時刻に伝承郷見学が行われた。どうせなら外国の人にもいわきの郷土芸能「じゃんがら」を体験してもらおう、ということになった=写真

「じゃんがら」を体験するという点では、日本人も外国人もない。初めて踊るのだから「右に同じ」である。踊りの輪に加わると、みんなが見よう見まねで手を振り、足を運ぶ。日本人より早くステップをなぞれる研修員もいた。

ちょっとした国際交流になったのではないか。と自負する一方で、外国人も踊ることができる「じゃんがら」のすごさをあらためて実感した。

私は、「じゃんがら念仏踊り」が行われるいわきの文化圏には入らない阿武隈の山の中で生まれ育った。

小学校の高学年のときだったと記憶する。夏休み(今思えば月遅れの盆)に、たまたま祖母と2人で三和町(当時は三和村)の親類を訪ねた。その日の晩、闇のかなたから「チャンカチャンカ…」という鉦の音が響いて来て、子どもたちだけで見に行った。青年会のグループが繰り広げる踊りと演奏に仰天した。

それが新盆の家を回って先祖の霊を供養する「じゃんがら念仏踊り」と知った最初だった。

なぜわが常葉町にはやぐらを囲んで踊る盆踊りはあっても、「じゃんがら」がないのか――。「じゃんがら」ショックに襲われた少年の心は三和村に住むいとこたちがうらやましくてならなかった。

やがていわきに住むようになって、月遅れ盆に「チャンカチャンカ…」が聞こえてくると、もういても立ってもいられなくなる。カミサンも、子どもたちも同様だ。もっとも彼らは生まれたときから鉦の音を聞いて育っているから、「じゃんがら」が体にしみこんでいるという点では、私より幸せだ。

最近「じゃんがらフリーク」になったというカミサンの同級生は、「いわき学・じゃんがら体験プロジェクト」にも参加して「じゃんがら」をたっぷり学習していた。そういう求心力と発信力が「じゃんがら念仏踊り」にはある。言い換えれば、時代を越え、性別・年齢を越えて交響できるなにか(たとえばリズム)が「じゃんがら」にはあるのだ。

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