2008年8月11日月曜日

人間とキノコ


田村市常葉町の実家で兄夫婦とキノコの話になった。「今年はキノコがないの」と義姉が言う。キノコを持って来てくれる人が亡くなったのだそうだ。道理で食卓にキノコの姿がない。

いつもその人がキノコを持ってきたらしい。そのつど、お礼をしていたはずである。というのは3年前、おふくろが亡くなって兄弟・親族が集まった日に、たまたま猪苗代湖の南岸に住む人がどさっとシシタケを持ってきた。兄はなにがしかのお金を渡した。その人はシシタケだけの人だと記憶する。亡くなったのは別の人だろう。

年に2回ほどしか帰省しないが、義姉は行くたびにキノコ料理を出してくれる。いのはなご飯(シシタケ)、まめだんごご飯(ツチグリ幼菌)、塩出しした雑キノコの大根おろし、そしてチチタケの料理。

そのチチタケを持ってくる人が亡くなったのだ。ツチグリ幼菌を持ってくる人も、その人だったろうか。義姉の料理のさえもあって、わが一族はキノコ好きになった。それで自然と実家にキノコが集まる(というより届く)ようになった。

常葉の里山を歩く時間はない。一泊した朝、夏井川渓谷(いわき市小川町)の無量庵へ戻って菜園のキュウリとミョウガの子を収穫し、ネキリムシにちょんぎられた三春ネギを集め、近くの森を歩いてアイタケとチチタケを採取した=写真。アイタケとチチタケは裂いて炒め、醤油で味を付けた。なにはともあれ料理の下ごしらえである。それをしておけば次の展開が簡単だ。

気が向いたときだけの男の料理はレパートリーが限られる。野菜炒めにするか、うどんのスープにするか、あるいはまったく違った料理にするかはカミサンにまかせるしかない。ありあわせの材料でささっとやれるほど経験は積んでいないのだから。

さて、人が亡くなるということはその人が持っていた技術・知恵・作法・人間関係・その他もろもろの総体がなくなることだ。キノコに限れば発生場所や発生時期・採取法を知っている人が一人この世から消えることであり、その人が持ってくるキノコを楽しみにしている人との交通が遮断されることでもある。

生きているうちに生活技術をどう伝承するか、悩ましい問題ではある。たとえ教えてくれる人がいなくても、趣味であっても、畑仕事をする、料理や漬物をつくる、山菜やキノコを採集する…。そういう興味・関心の広がりが大切になるのではないか。

これまでもそうだったように、これからも人は自然と向き合い、自然の恵みを利用しながら、ウデ(生活技術)を鍛えていく、自然と人間の関係について考えを深めていく。それしかないように思う

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