2008年8月22日金曜日

啄木の「散歩」と曙覧の「いで歩き」


前に草野心平記念文学館で詩人の中村稔さんが「啄木の魅力」と題して講演した。8月24日まで開かれている開館10周年記念企画展「石川啄木 貧苦と挫折を越えて」の記念講演会だったが、ひとつ引っかかるものがあった。

気弱なる斥候のごとくおそれつつ深夜の街を一人散歩す

中村さんはこの作品を取り上げて、啄木が最初に「散歩」という言葉を使った、「散歩」は明治以降の新しい行為、と解説した。「散歩」という言葉の使用についてはその通りなのだろう。しかし、「散歩」が明治以後の行為、という説明は解せなかった。

そぞろ歩き、漫歩、散策。それは散歩とどう違うのか。例えば幕末の歌人橘曙覧のこんな歌。

たのしみは空暖かにうち晴れし春秋の日出でありく時
たのしみは意(こころ)にかなふ山水のあたりしづかに見てありくとき

「散歩」という言葉こそ使ってはいないが、これは実質的に散歩ではないのか。散歩だとすれば、それはなにも明治になって日本人が覚えた習慣ではない。それとも、もっと深いなにかがあって、中村さんはそれを説明しなかっただけなのだろうか。

ところで、私はブログと散歩は切っても切れない関係にあると思っている。

人は何か見つけたこと、たとえば昨日までなかったところに今日はナツズイセンが咲いている=写真=といった発見の喜び、あるいは新しいこと、変わったことを他人に伝えようとするものだが、頭の中だけで新・珍・奇をひねり出そうとしても無理がある。

ブログを続ければ続けるほど、人は外へ材料を探しに行く。散歩はその最たるものではないか。私の場合もそうだが、ブログとは散歩のことなり、と言ってもいいように思う。

啄木の「散歩」と曙覧の「いで歩き」「見て歩き」に共通するのは日常をありのままに詠む近代性だが、ブログ的感覚でいうと私は啄木より曙覧により引かれる。

0 件のコメント: