2008年8月24日日曜日

胸の三角波


朝は晴れていたのが、午後になると鉛色の雲が広がり、風も急に吹き始める。道の両側に広がる田んぼの稲穂も、丈高く伸びた空き地の草も、横なぐりの風になぶられている。

昼飯をと、いわき新舞子海岸にあるカレー屋さんへ行ったら、雨粒が窓をたたき始めた。

店の東と南側は展望のきくガラス窓になっていて、シネマスコープのように海が見える。三角波が立って、あちこちで白いウサギが跳びはねていた。沖からやって来る波が、陸から攻め寄せる強風に押し返されて盛り上がり、三角になって、てっぺんの波が白く小さく砕けるのだ=写真。

それを見ているうちに、「胸にぎっしり三角波」というフレーズがのどから舌頭に浮上し、俳人の故安達真弓さんを思い出した。「『胸にぎっしり三角波』。上五の言葉は何だったろう。『冬の朝』だったか、『山茶花の』だったか」。カレーのランチがくるまで記憶をたどってみたが、どうしても思い出せない。

きのう(8月23日)、いわき総合図書館へ行って、彼が所属していた浜通り俳句協会発行の句誌「浜通り」54号(昭和60=1985=年11月号)を開いて、上五が「春一番」だったのを思い出した。

春一番胸にぎっしり三角波

安達さんの第2句集『黄沙』(第1句集は『百霊』)に収録されている。俳句はオヤジ(義父)の「余力学芸」くらいにしか思っていなかった私は、発刊されたばかりの『黄沙』を読んで、「1行の現代詩群」であることにショックを受けた。そのとき、安達さんは古希を過ぎていた。それも驚きだった。

わが敗走いまも桔梗の紺の中
灯台いま全盲の白・ひとさしゆび
朝顔にはなき混沌をもちあるく
曠野まで言葉の毒を薄めにゆく

安達さんの「1行の現代詩」の一部である。「言葉の毒」の連想でいえば、西行に「身に積る言葉の罪も洗はれて心澄みぬるみかさねのたき」がある。通底しているものは同じだろう。                                               
言葉そのものと向き合うためにも、安達さんの孤愁に深く分け入って自在な詩情に染まってみたい――胸にざわざわと三角波が立っている。

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