2008年9月16日火曜日

ヒガンバナ咲く


散歩はメタボ対策が第一の理由だが、立ち止まるために歩くという側面もある。花・鳥・風・雲に触れていると、耳と目が喜ぶ。橘曙覧の「たのしみは朝おきいでて昨日(きのふ)まで無かりし花の咲ける見る時」に尽きる。そんなときには、足を止めて見入る。

朝はわが家から旧国道を東へ向かい、国道6号を横断して夏井川の堤防へ出る。朝日を背にしばらく上流へと向かって歩いたあと、適当なところで堤防を下り、国道6号を横断してわが家へ戻る。夕方は反時計回り、逆コースで堤防へ出る。

先週の土曜日(9月13日)は珍しく、朝5時台に散歩へ出た。堤防を歩き終えて国道6号へ向かうと、上流の寺から「明け六つ」を知らせる時鐘が響いた。同時に、6時のサイレンが鳴って、花火が4カ所で打ち上げられた。時鐘・サイレン・花火を同時に耳にするのは、そうない。

打ち上げ花火はなにか晴れの日の証しだが、なんだろう。運動会はもう終わった。敬老の日には早い。よく分からないままいて、昼に車で郊外へ出かけたとき、神社の秋祭りが各地で開かれていることに気づいた。告知を兼ねた祝砲だったのだろう。

平市街地の飯野八幡宮でも14、15日、例大祭で流鏑馬神事が行われた。参道では生姜市が開かれた。生姜を手に街を歩いている人がいて思い出したのだった。流鏑馬の騎手は、的を射るだけでなく、馬を走らせながら参道の見物客に向かって扇子や生姜をまく。見物客はわれ先に拾う。別名「生姜祭り」。

夏井川の対岸、愛宕神社では13日夜、「タイモー、タイモー」と声を張り上げて山の参道を巡る松明(たいまつ)奉納が行われた。

よそからやって来て地域に根づいたつもりとはいえ、伝統的な行事には、ニューカマーはお呼びがかからない。祭りの興奮を共有できない地域にコミュニティーが存在するか、となると疑問符が付く。

それはともかく、土地の自然は人間を区別しない。花・鳥・風・雲は平等にあるがままの姿を見せる。夏井川の堤防できのう(9月15日)の朝、ヒガンバナの真っ赤な花=写真=を見た。今年初めての対面である。曙覧のいう「昨日まで無かりし花」だ。こんなときにはやはり心が躍る。

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