2008年10月30日木曜日

11月12日から石川葎展


いわき市平の市街地は旧磐城平藩の城下町。その商家に生まれ、書家としての生涯を歩んだ石川葎(本名・美子)さん(1928~2001年)の作品展が11月12~16日、いわき市暮らしの伝承郷で開かれる。

石川さんの書は独特の味わいがあり、いわき市発行の刊行物のタイトル、銘菓の文字、店の看板などでいわき市民にはすっかりおなじみだ。書家としての石川さんを知らなくとも、銘菓や看板を介して、市民は日常的に石川さんの書に接している、といってもよい。

真骨頂は近代詩文。詩はおろかエッセー、俳句、箴言などを渉猟し、共振・共感した字句を掬い取り、書作品として造形する。作品展にはそれらを主に60点余が展示される。石川葎展実行委員会が主催し、いわき市暮らしの伝承郷といわき地域学會が共催する。

実行委の一人として図録の校正を担当した。その作業で得られたことを二、三紹介しながら作品展をPRしたい。

西脇順三郎の詩集『旅人かへらず』の最終連「永劫の根に触れ/心の鶉の鳴く/野ばらの乱れ咲く野末/砧の音する村/樵道の横ぎる里/白壁のくづるる町を過ぎ/路傍の寺に立寄り/曼陀羅の織物を拝み/枯れ枝の山のくづれを越え/水茎の長く映る渡しをわたり/草の実のさがる藪を通り/幻影の人は去る/永劫の旅人は帰らず」を書いた作品がある。

石川さんの関心は現代詩にまで及んでいた。このことに、まず驚く。俳諧にも通ずるような西脇順三郎の哀愁と諧謔を好んだ、ということだろうか。あらためて石川さんの確かな眼力を知る展覧会になることだろう。

山村暮鳥の詩集『雲』の序文の一部を書いた作品=写真=は、いわき総合図書館に眠っていた。別の作品を撮影に行ったら、「もう1点ある」と言われて、日の目を見ることになった。今回の作品展の目玉になる大作だろう。縦約70センチ、横は観音開きで270センチ余になる。書かれてあるのは次の言葉。

「だんだんと詩が下手になるので、自分はうれしくてたまらない。詩をつくるより田を作れといふ。よい箴言である。けれど、それだけのことである。よい詩人は詩をかざらず。まことの農夫は田に溺れず。これは田と詩ではない。詩と田ではない。田の詩ではない。詩の田ではない。詩が田ではない。田が詩ではない。田も詩ではない。詩も田ではない。なんといはう。実に、田の田、詩の詩である。」

いわき駅前再開発ビル「ラトブ」がオープンして1周年。集客力の切り札としていわき市文化センターから中央図書館が引っ越し、いわき総合図書館として開館準備を進めてきたからこそ、所在が確認されての「蔵出し」となったようだ。

そして、もう一つ。きのう(10月29日)の全国紙のコラム。シラーのこんな言葉が引用されていた。「未来はためらいつつ近づき、現在は矢のように速く飛び去り、過去は永久に静かに立っている」。これもまた、石川葎さんの好む言葉だったらしい。図録に収録されている。

石川葎さんの芯をなしていたのは「時間・永劫・瞬間・矢・循環」といったものへの想像力だろうか。石川さんの書と石川さんが選び取った言葉と、その両方を堪能できる展覧会になるはずである。

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