2008年10月16日木曜日

アミタケを採って考えた


中学校の同級生が近所に住んでいる。山国育ちだから自然には詳しい。大工さんである。彼に頼んで、夏井川渓谷にある無量庵の台所や出窓、押し入れなどを直した。あるとき、無量庵でキノコの話になった。

「山根(彼の故郷の田村市常葉町山根)の人たちはアミタケ=写真=を食べないんだ」。「えっ?」と私。「いわきではみんな夢中になって採っぺよ」。なぜかアミタケをまたいで過ぎるのだという。アミタケよりうまいキノコが採れるのか、イグチ系のキノコに対して禁忌が存在するのか、あるいはまた別の理由があるのか、それは分からない。

そのとき、『川内村史・資料篇』が頭をよぎった。幕末の資料にシイタケ・コウタケ・ムキタケ・マツタケの値段が書いてある。

江戸へ出荷するのはシイタケとコウタケ。安政7(1860)年3月時点での相場は、シイタケ1両当たり1貫550匁、コウタケ2貫400匁とシイタケの方が高い。シイタケはささかご・むしろ包みにして平城下から、コウタケは箱に入れて送った、とある。

慶応2(1866)年12月になると、これが3~2倍にはね上がる。1両当たりシイタケ中級品500匁、シシタケ(コウタケ)1貫400匁。ムキタケはよく分からないのだが「三割二分」、マツタケは大小5本で100文と考えられない安さだ。大冷害が起こったらしい。

現在の貨幣価値に換算するといくらになるか。「鬼平犯科帳」の池波正太郎さんは1両を6~8万円とみていた気がする。別の人は12万円という。幅をもたせて換算すると、シイタケはキロ1万円強~2万円強(安政7年)、コウタケは7,000円強~1万4,000円強(同)、マツタケは1万円で8本強~4本強(慶応2年)の計算になる。

コウタケはともかく、シイタケが飛びぬけて高いのと、マツタケがそれほどでもないのは、なぜだろう。シイタケとコウタケは乾燥が利くが、マツタケはそうではない。マツタケは結構みんなが採っていて、流通する範囲も平城下とか三春城下とかの近郊止まりだったのではないだろうか。要するに、現代のような高級品ではなかった、ということだ。

この前初めて、シイタケらしいものを夏井川渓谷で採った。アミタケも無量庵の裏山で2、3回、20個前後採った。マツタケやコウタケ(シシタケ)はしかし、はなから採るのをあきらめている。それでいいと思っている。採って金を得るプロではないのだから。

0 件のコメント: