2008年10月20日月曜日

「いわき鹿島の文人画とその周辺」展


遅ればせながら、いわき市暮らしの伝承郷で開かれている「いわき鹿島の文人画とその周辺」展(10月26日まで)を見た。私にとっては長く「幻の画家」だった荒川華関(1870~1941年)の画業に触れるまたとない機会となった。

会場入り口正面にデンと飾られた屏風の山水画に圧倒される。六曲の「松雨楼閣」=写真。昭和5(1930)年の作だという。

そびえたつ山のつらなりを遠景に、手前の山あいに何軒かの楼閣が立っている。楼閣の前には梅が花開き、裏山の尾根筋には松が林立している。遠景と楼閣のある近景を白い帯のような霧か雲がつないでいる。画面右下にあるのは水の世界らしい。渓流をたたえる湖か。

山水画に現実の風景を探すのは意味がない。無粋だ。が、妙にリアルなものを感じる。「『夏井川渓谷の隠れ里』(小川町上小川字牛小川)ではないか」。そういう意識で見ると、また違った味わいがある。いや、ますます画面にのめり込んでしまう。

山水画の特徴は省略と強調だろう。「松雨楼閣」にアカヤシオを加え、楼閣を普通の民家に切り替えると、いよいよ私のなかでは夏井川渓谷の小集落になる。週末をそこで過ごす人間の思い込みとして、夏井川渓谷を山水画に描くとしたら「秋雨楼閣」以外にはあり得ない――そんな磁力を発する大作だ。

さて、荒川華関は農業にいそしみ、鹿島村長を務めた実業の人でもあった。与謝蕪村や渡辺崋山らの系譜につらなる文人画に優れ、漢詩や書もよくしたという。雅号の華関は、勿来の関の山桜にちなむということも、今回初めて知った。

戦後すぐ鹿島村長を務めた八代義定(1889~1956年)もまた、農業のかたわら考古学と歴史の研究を続けた。荒川華関といい、八代義定といい、鹿島には文人村長が生まれるなにか特別な土壌があるのだろうか。

話を戻す。華関の弟子の橋本華涯(1914~1984年)の作品「松林白瀑」を見た瞬間、夏井川渓谷の籠場の滝を思い浮かべた。やはりどこかにリアルな感覚がはたらいているのだ。夏井川渓谷を下敷きにして、初めて山水画に没入し、興奮した。

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