2008年11月6日木曜日

猫の「チャー」も老いたか


わが家には猫が3匹いる。全部、息子が拾って来て、自分のところでは飼えないからと、母親にあずけたものだ。父親である私は、人間を相手にするだけで精いっぱい。とても犬猫に目を向ける余裕はない。いや、余裕があったとしても、好きでも嫌いでもないから積極的に飼うつもりはない。

それが、いつも息子と母親の「動物愛気質」のなかで犬猫が同居するようになる。息子も結婚して、自分の家で拾って来た猫を飼っている。子どもができたからには、2匹も3匹も飼えない。わが家の同居猫が増えるたびに、父親である私は母親の甘さをなじる。

3匹の猫はたまたま生き残っているだけにすぎない。息子が小学生のころから数えれば、何匹の猫を飼ったか。既に交通事故で5、6匹は死んだ。いや、息子が拾って来てわれら夫婦が育てた雑種の柴犬が長寿を保って室内で死んだ以外は、猫の老衰死を見たことがない。いつも車にはねられ、かろうじて体形は保っている、そんな死ばかりだ。

犬猫のほかに、子どもが幼いときにはウサギ・鶏・金魚を飼った。ウサギには逃げられ、鶏は犬にかみ殺され、金魚は水槽の汚れが原因で1年もたたないうちに死んだ。

さて、猫。「長男」は「チャー」。息子が東京で暮らしていたころ、ミャーミャー鳴いているのを拾い、わが家へ連れ帰った。8、9年になるだろうか。「二男」は「レン」。平の里山に捨てられていた。「長女」の「サクラ」も同じ。「チャー」以外は避妊手術をした。

「チャー」は大人になると徘徊を覚えた。家に戻るのは腹が減ったときだけ。それが、ここ数年のならわしだった。が、この数日はどうしたのだろう。「赤ちゃん返り」をしたようにミャーミャー鳴いて、カミサンにまとわりついて離れない。えさを食べても家の中にとどまっている。どころか、こたつの中に入り込んで出てこない。

去年あたりまでは近所の猫どもの上に君臨して、縄張り内をへめぐっていたらしい。傷をつけて帰って来ることもあったが、それでも目には猛禽類と同じ光があった。それが今は雄としての精悍さを失っている=写真。ボスの座を奪われて、「わが家」に引きこもらざるを得なかった、という雰囲気だ。いよいよ老境に入ったのか。

「チャー」はこれからどう行動するのか。再びさすらいの旅に出るのか、日だまりの中でまどろむだけになるのか、じっくり見させてもらうとしよう。

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