2008年11月11日火曜日

物置に生酒


年に1、2回は夏井川渓谷の無量庵へ遊びに来る朋友がいる。出会ったのは45年前、15歳のときの、とある学校の入学式。セレモニーが終わって教室へ戻ったら、前の席に彼がいた。席は「あいうえお」順。「ま」と「わ」の間だ。私は寮生、彼は通学生。以後、教室の延長で今も会えばしゃべり続ける。

学校が目指していたのは「物をつくる中堅技術者」で、「物を書く人間」ではなかった。が、どういうわけか2人とも「書くこと」に夢中になった。

彼は短歌と短編小説を書いた。学校の勉強を続けて立派に卒業した。工場のプラントの設計者として独立した。私は早々とドロップアウトした。で、彼には今も「書けばすごいはずだ」という思いを抱き続けている。

その彼から、土曜日(11月8日)の昼、わが家に電話がかかってきた。「母親を連れて夏井川渓谷へ紅葉見物に行って来た。無量庵の物置に酒を置いてきたから」。彼は首都圏に住む。母親はいわきにいる。

土曜日に何もなければ、昼前から無量庵へ出かける。午前中、仕事の打ち合わせがあったので、渓谷行は夕方になった。いつもなら途中のコンビニで焼酎を買い、スーパーで酒の肴を調達するのだが、今回は朋友が持って来た酒がある。それに合わせて、肴はボイルされたイカの下足(げそ)にした。刺し身代わりだ。

無量庵に着いてすぐ物置を開ける。あった。彼がこよなく愛する、長野県小諸市でつくられている日本酒「献寿」(生酒)=四合瓶=が2本。

実は、10月下旬の土曜日に同級生十数人が集まって、無量庵の近くの旅館で「還暦同級会」をやった。そのときにも日本酒は「献寿」だった。彼が調達した。9日に旅館の若だんなに会ったら、「みんな飲みますね」とあきれていた。

さらにいえば、10年以上前、無量庵で4、5人が集まって飲んだとき、初めて彼が持ち込んだ日本酒が「献寿」だった。生酒だからと、風呂に水を張って冷やしたら、ラベルが剥がれた。それを風呂場の白壁に張ったのが、今も残っている=写真。       


というわけで、土曜日の夜は独酌を楽しむ。酔って、トム・ソーヤーの気分にひたる。夫婦円満の秘訣は一緒にいない時間をつくることだという。「夫」の上着をぬいで「不良少年」に戻るのだ。これでストレスはあらかた解消される

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

またまた匿名の姫?でございます。
そうですか物置に生酒が・・ 
 帰郷されたお友達がお母様と紅葉を見に・・  いてもいなくてもお酒を置いて帰ろうと・・・ 

こういう話しにはめっぽう弱くて コメント入れずに居られましょうか?(;_;)

物置の壁に貼られたお酒のラベル 大切な大切な友情の・・・

何故か最近 故郷から巣立って行き 都会などで家庭を築いて 定年を迎えた友人達を思うことが多いです。

彼らの根っこは やはり故郷の山・母・友

母として 東京で暮らす次男坊を思う気持ちと繋がります。