2008年11月8日土曜日

松田松雄展を見る


いわき市平のエリコーナで、11月16日まで「松田松雄展――黒の余韻 パート1」が開かれている=写真。原因不明の病に倒れ、7年余の闘病生活の末に他界して7年。久しぶりに松田作品と対面した。

闘病中の10年前、いわき市立美術館で彼の企画展が開かれた。今度の展覧会はそれ以来の本格的な回顧展となった。ギャラリー界隈では、松田さんの教えを受けた地元作家11人による「M―11」展が開かれている。こちらは11日まで。奇しくも師弟の作品が同時期に響き合うかたちになった。偶然の一致だという。

松田松雄さんは昭和12(1937)年、岩手県陸前高田市に生まれた。海をはさんで宮城県気仙沼市と向かい合うリアス式海岸の半島のまちだ。気仙沼市の高校へ通い、水産会社に入って、工場のあるいわき市小名浜へやって来た。30歳を目前にして脱サラをし、画家としていわき市で生きた。

私が松田さんと出会ったのは昭和46(1971)年、今はない草野美術ホールで彼が個展を開いたときだろうか。綿入れ袢纏に長靴姿、やや大声の岩手訛り。私より一回り年長ながら「○×さん」とていねいに相手に接する謙虚さ、きめ細かい心配り、絵にかける情熱に引きつけられた。以後はしばらく草野美術ホールで、喫茶店で毎日のように会って話した。

回顧展には初期の作品から病に倒れる前の作品まで数十点が展示された。彼の作品は良くも悪くも彼の内面を反映している。悲しみ、喜び、混乱……。変貌し続ける作品にはすべて(おそらく)「風景○×」「風景(○×)」のタイトルが入っている。「風景」とは彼の内面の風景のことでもあった。

今度あらためて感じたことがある。雪原を、マントをすっぽりかぶって歩く人々を描いた初期の作品の完成度の高さだ。松田松雄はこれに尽きる。以前、「未完であることによって生成転移を続ける作品群」と評したことがあるが、今ははっきりと「完成された世界からの脱出=生成転移」だったと分かる。

「私にとって表現が変わるというのは、危険をはらんだ最高のドラマと云える。/そして私は、彼岸への道に踏み出す予感に震える」。病に倒れる5年ほど前の、昭和63(1988)年6月に書かれた彼の文章である。今を壊して未来を描く悲しさに、私も恐れを抱いた。

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