2008年12月8日月曜日

「つまらないからよせ」


11月中旬のことだが、どのテレビ番組を見たものかとリモコンでガチャガチャやっていたら、「トゥエルビ」の<宝塚「名作の旅」>が目に止まった。「イーハトーブ 夢」後編。淳紫央というタカラジェンヌが宮沢賢治の岩手を旅する番組だった。

宝塚歌劇団の星組東京特別公演・バウ音楽詩劇「イーハトーヴ 夢…宮沢賢治『銀河鉄道の夜』…」の映像をからめながら、番組は進行する。賢治の人生を「銀河鉄道の夜」とシンクロさせて描く詩的な一編、というのが詩劇の売りらしい。宝塚が宮沢賢治を取り上げること自体、驚きである。

公演の映像に端正な「賢治先生」が現れた。タカラジェンヌだから当然だが、「雨ニモ風ニモマケズ」を朗々と、堂々と吟ずる=写真。「北ニケンクワヤソショウガアレバ/ツマラナイカラヤメロトイヒ(北に喧嘩や訴訟があれば/つまらないからやめろと言い)…」。このくだりでハッとなった。「つまらないからよせ」という詩があったぞ。

いわき市は昭和61(1986)年、「非核平和都市宣言」をした。市民有志が中心になって短期間に何万人もの署名を集め、市と市議会を動かした。その原点が、元いわき短大学長の故中柴光泰さんが書いたソネット(14行詩)「つまらないからよせ」だった。

原爆をつくるよりも/田をつくれ/それとも/詩をつくれ/(1行あき)これが存在するものの一念だ/さきごろ咲き出した水仙も/そう言っていた/日ごろ無口な庭石も/そう言っていた/(1行あき)田にはくらしがある/詩にはいのちがある/しかし原爆には何もない/ただ限りなく/つまらないだけだ

賢治の「ツマラナイカラヤメロ」に、中柴さんの「つまらないからよせ」が重なった。中柴さんは賢治の詩句を意識して書いたに違いない。テレビを見ながらそう確信したのだった。

漢学者を父に持ち、英文学者として、また明治の歌僧天田愚庵の研究者として、1世紀の生涯を歩んだ中柴さんは、年下であっても他者への尊厳を忘れず、ウイットと警句をもって座を楽しませてくれた。

生涯で唯一書いた(と思われる)詩が、落語風味の対句仕立てで非核化を訴えるこの作品だった。重いテーマを日常に引き寄せ、軽く爪ではじくその落差が面白い。誰にでもできる芸当ではない。非核と非戦をこんなふうに表現した人はほかにいるだろうか。あらためて中柴さんの知のダムの広さ、深さに思いが帰っていく。

16歳のときの英文法の先生として、新聞記者になってからは人生の大先輩として、絶えず謦咳に接することができたのを、私は今もありがたく思っている。彼岸に渡ってもなお中柴さんは「存在するものの一念」を秘めてこちらを見ているに違いない。

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