2008年12月26日金曜日

淳ちゃん、さよなら


阿武隈の山々が雪をかぶった日=写真=の未明、学生時代にクラスメートが入り浸った喫茶店のマスターが急死した。そのことを、おととい(12月24日)、この欄の終わりに書いた。きのう、通夜へ行って来た。

社会人になってからは、同級会のあとや、近くで仕事があったときに顔を出す程度になった。それも昔のことだ。すっかりごぶさたしていた。

奥さん(喪主)の顔を見たとたんに、涙がにじんだ。あまりにも突然の死である。まだ事実を受け止めきれていない――奥さんは目をうるませながらも、気丈に振る舞っていた。

焼香台のすぐ後ろに棺が安置されていた。窓が開いている。奥さんを振り返ると、うなずいた。最後の別れをしてちょうだい――。

「相変わらずおれたちより髪の毛がふさふさしてるじゃないの、淳ちゃん」。鼻を中心に赤いあざのようなものが点々とある。端正な顔にはふさわしくない。風呂場で倒れていたというから、そのときできたものか。「でも、死に顔もハンサムだよ」。いわき市の「喫茶じゅん」店主。享年69。

わがホームドクターの自宅の斜め向かいに店がある。ホームドクターもマスターとは昵懇だったらしい。花輪が飾ってあった。

かつては、平駅(いわき駅)近くの三田小路で営業をしていた。今の駅前再開発ビル「ラトブ」の南、パチンコ屋の隣辺りだろうか。そのころにマスターを知った。40年余前だ。

昭和41(1966)年のことだったと思う。学校の文化祭があって、パンフレット作りをまかされた。当然、広告も取らなくてはならない。「喫茶じゅん」を拠点に、マスターにアドバイスを受けて周辺の店や事務所を回った。広告取りの過程で意識はしなかったが、後年、一緒になる人間を知った。

なぜ「喫茶じゅん」だったのだろうか。通うきっかけはマスターの親類が同学年にいたからだが、10代後半の人間をまっとうにみてくれた、それが一番だったと、今思う。同じ目線で接してくれたのだ。教訓を垂れない。それを、マスターから学んだ。      
                                        今日は告別式の時間に仕事で人と会わなくてはならない。だから、ここでさよならを言う。「淳ちゃん、やすらかに」

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