2009年1月19日月曜日

ワイエスの死


今年初め(1月4日)にアメリカの画家アンドリュー・ワイエスのテレビ番組=写真=を見たばかりだと思ったら、おととい(1月17日)の全国紙で彼が16日にこの世を去ったことを知った。享年91。

きのう(1月18日)の福島民報に載った共同通信の記事によれば、生涯をペンシルベニア州やメーン州の田園地帯で過ごし、田園風景などを題材に水彩やテンペラ画を描いた。足の不自由な女性が広い畑を家に向かってはう姿を描いた1948年の「クリスティーナの世界」は有名――と報じている。私の記憶では、畑ではなく丘の家に続く斜面だったはずだが。

福島県立美術館はワイエスをコレクションの柱の1つにしている。1月4日のテレビ番組でもそのコレクションが紹介されていた。14年前に開かれたワイエス展を見に行った。今年3月中旬から再びワイエス展が開かれる予定だという。むろん、見に行くつもり。

ワイエスの画集は、日本では「カーナー農場」から始まって「クリスティーナの世界」「ヘルガ」が発刊され、4冊目に「アメリカン・ヴィジョン ワイエス芸術の3代」が出た。私は、4冊目は持っていない。

子育て真っ最中でカネはない。でも、欲しい。若いころ、思い切って3冊まで買い続けた。私には、ワイエスの自然観が哲学者内山節さんのいう「自然と人間の交通」論と通底しているように思われた。アメリカにも同じような考え・感覚を持っている人間がいる、というのは発見だった。

アメリカにはH・D・ソロー以来の自然志向が根強くある。詩人のロバート・フロストもそう、ゲーリー・スナイダーもそう。ワイエスもその系譜に位置づけられるだろう。テレビ番組で、孫娘に質問を受けたワイエスは「午後はすべて自分の時間で、ひとりで野原を歩き回りました」と答えている。ソローと同じではないか。

アメリカは、大統領が民主主義をうんぬんする割には若くて過激なところがある。すぐ鉄拳制裁にいく。それを脇におくわけにはいかない。が、ソロー以来の伝統もまた息づいている。そこで時々、アメリカの「ネイチャーライティング」の世界に分け入る。

と、ここまで書いてきて、唐突ながら1月19日はいわき市生まれの「文学界」新人賞受賞作家河林満さんの命日であることを思い出した。

河林さんに進呈したいわき地域学會出版図書『鮫川流域紀行』が小説の参考になったことを知ったときはうれしかった。この1年、折にふれて河林さんのことが胸中をよぎった。遅ればせながら、銀河の旅を続けている河林さんにきょう(1月19日)の午後5時38分、献杯をするつもり。むろん、ワイエスにも。

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