2009年2月4日水曜日

節分、そして立春


今日(2月4日)は「立春」。「リッシュン」と口にするだけでなんとなくさわやかな気分になる。コハクチョウたちも人間以上に「光の春」を体感しているに違いない。暖冬である。朝晩の飛翔=写真=が頻繁になった。

で、昨晩は「節分」。豆まきをやった。これが、私は嫌でたまらない。やりたくない。やるにしても静かにやりたい。「それではダメだ」とカミサンがいう。

「大きな声で『鬼は外~、福は内~』って言わないと、鬼が入って来るでしょ」「鬼はとっくにいるじゃないか、ここに。それに、オレは慎み深いんだ。囁くだけにする」「ダメ、あんた、男でしょ!」と鬼の形相にはならなかったが、いやはやねじを巻かれてやるしかない。中程度の声を出して「鬼は外~」とやった。

なぜ声を出すのが嫌かと言うと、長男ではないので子どものころから「鬼は外~」をやった経験がない。幼児期の記憶では、私ら次男以下はもっぱら豆を拾って口に入れるだけだった。それが1つ。

もう1つは、ふるさとの町(田村市常葉町)が大火事になったことによる簡素化だ。そのとき小学2年生だったから正確には覚えていないが、大火事の翌年(昭和32=1957=年)から、イワシの絵と「鬼は外、福は内」の文字を書いた紙(はがき大)をしかるべき場所に張って、豆まきを省略するようになった。

この簡素化はおそらく「新生活運動」と関係している。被災による生活再建を支えようという側面もあったに違いない。わが実家では以来、この慣習を守っている。「鬼は外~」を念ずるだけになった。沈黙の節分である。

一方で昔からの伝統を守る家もある。で結婚以来、尻をたたかれながらやってきた。「福ます」にいった豆を入れ、<さあ、やるか>というときに、飼い猫が私の資料にマーキングをした。怒って追いかけたが、猫の足は早い。「鬼は外~」だけでなく「猫は外~」と言ってやる。そのうち、「あんたも外~」といわれるかもしれないが、知ったことではない。

あとでカミサンが「玄関を開けてやった? 開けないと鬼に聞こえないでしょ」というから、「開けなかった」と返すと、あきれて声もなかった。<鬼がかわいそうだ。鬼が泣いてるぞ>と開き直ってさっさと晩酌を始めた。

0 件のコメント: