2009年2月10日火曜日

「全力学問」の先輩


例えば、商家のあるじが一日の仕事を終えて趣味の俳諧に興じたり、調べ物をしたりする。これを「余力学問」という。

侍も、寒村の名主も、アフタファイブには「余力学問」にいそしんだ。極端な言い方をすれば、読み書きのできる人間はたいがい発句を詠んだ。江戸時代後期、特に幕末へと近づくほど俳諧は大衆化する。娯楽と交遊を兼ねたものでも、知的好奇心が庶民の間で渦を巻いていた。世間に「余力学問」が浸透していた。

手近な俳諧はともかく、町人学者の本居宣長・木村蒹葭堂・伊能忠敬・山方蟠桃などは「余力学問」の代表選手だろう。

先月(1月)上旬、1年先輩の父君の葬式が執り行われた。通夜が始まる前に式場でしばし先輩と話をした。10代の終わりから先輩の家へ遊びに行っていたから、遺族や親族とも顔なじみである。88歳の母君は達者だった。いつもの温顔で迎えてくれた。

先輩から誰彼の消息を教えられた。同じ1年先輩のEさんは勤めを終えて大学に通っている、という。先生?ではない。「大学生になって国文学を学んでる。若い格好をしてるよ」。驚いた。61歳。「余力学問」ではなくて「全力学問」だ。

学生時代、Eさんとは陸上競技部で一緒だった。一緒に同人雑誌も出した。社会人になってからは風の便りを聞くだけになった。が、今度の「全力学問」はEさんらしい決断だと思った。経済的に許されるなら、若いときにしただろうことを、定年を迎えて実行する。子育てを終え、仕事を終えた今、Eさんの心を突き動かしたのは一生の「宿題」だった。

「団塊の世代」の「長男」であるEさんの気持ちが、「次男」である私にはよく分かる。「少年老い易く学成り難し」だが、今一度学ぶ気持ちが長い伏流水の時間を経てあふれ出てきたのだ。

伊能忠敬は隠居した51歳から測量学の勉強を始めた。「余力学問」から「全力学問」に切り替えた。これである。Eさんにならって少しは「全力学問」の時間を持たないといけないか。夕日に照らされるオオハクチョウ=写真=の若鳥を眺めながら、自問した。

0 件のコメント: