2009年2月24日火曜日

注がれた愛情


いわき市暮らしの伝承郷で企画展「注がれた愛情――お雛様と子どもの着物展」が開かれている=写真。市民から伝承郷に寄贈された雛人形約30組と、「宮参り」や「七五三」などの晴れ着、日常着の子どもの着物約100点が展示されている。3月22日まで。

わが兄弟は女が一番年上の姉1人、わが子は2人とも男。明るく華やかな緋毛氈(ひもうせん)の世界とは無縁できた。小さいころ、近所の幼なじみの家に招かれ、雛飾りの前で何か甘酒のようなものを飲んだ記憶があるが、定かではない。端午の節句に関してはかやぶき屋根のショウブの葉と、湯に浸かったときのショウブの甘い匂いを覚えている。

「お七夜の献立と贈り物の一例」という小パネルに興味をそそられた。昭和25(1950)年2月に生まれた男児のお七夜に親戚や産婆さんを招いて祝った記録である。親が書き残しておいたのだろう。

まず、献立。おふかし・吸い物(鶏肉・ナルト)・煮しめ・なます・ひやし豆・魚(頭付き)・タコの刺し身・ホウレン草のおひたし・茶菓子(生菓子)・ミカンの10品が並ぶ。質素でも豪華でもないがやや上等の献立、という印象を受けた。

おそらく献立は今つくっても大差ないだろう。が、贈り物は時代を反映する。リンゴ・ベビー服・反物・帽子・着物綿入れ・白米3升・セルロイド玩具といったモノ、200円、100円、500円といったお金が30軒前後の親戚から寄せられた。敗戦から4年半、やっと世情が落ち着き、生産活動も上向きつつある時代。これだけ愛情を注がれた男児はきっと幸せに育ったに違いない。

父母、祖父母、親戚、そして地域の住民から愛情を注がれて子どもは育つ。その記憶が子どもの宝になる。ときには孤独を強いられる人生の支えになる。「愛された」という記憶があれば、人は決して最後の一線を踏み外さない。そんな意味のことを池波正太郎は「鬼平犯科帳」や「仕掛人藤枝梅安」で書いている。

それが現代ではほころびを起こしつつあるように感じる。親にしてみれば「注ぐ愛情」だが、子どもにしてみれば「注がれた愛情」である。「愛された」という子どもの記憶が細ってきているようなのだ。親はシャワーのごとく愛情を注ぎたまえ。おばさんたちでいっぱいの華やかな会場の隅っこで、そんなことを思った。

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