2009年2月26日木曜日

「左助」、ついに合流


きのう(2月25日)早朝、夏井川の堤防で久しぶりにMさんと話をした。Mさんは毎朝、ハクチョウにえさをやっている。その帰り道、私と出くわすと軽トラを止めてひとことふたこと、ハクチョウ情報を伝えていく。

「『左助』がようやくみんなと合流した」。表情を緩めながら教えてくれた。「いつですか」「うーんと、おとといかな」。今週の月曜日(2月23日)か。

そういえば、月曜日の夕方、朝とは逆コースで散歩をしていると、残留コハクチョウの「左助」と「左吉」の2羽がサケのヤナのすぐ下流にいて、今にも水没しているヤナを乗り越えそうな気配だった。あれから「よっこらせ」とヤナを越えて、少し上流(平・塩地内)にいる仲間のところへたどり着いたのだろう。

Mさんと別れたあと、塩の大集団を双眼鏡でチェックした。コンクリートブロックの護岸に立つと、えさをくれる人間だと思ってか、一斉にこちらへ向かって来る。えさをくれそうにもないと分かるとすぐUターンする。なんて現金なやつらだ。「パブロフの白鳥」ではないか。

そのとき撮ったのが上に掲載した写真だ。中州の左端にいるのが「左吉」、その隣でべたっと座り込んでいるのが「左助」。周囲の小さい鳥はカモメの仲間。

夏井川では、上流から小川町・三島、平・平窪、平・塩~中神谷地内の3カ所でハクチョウが越冬する。わが散歩コースはちょうど塩~中神谷の越冬地と重なる。

中神谷の夏井川には秋と冬の間、サケを捕獲するためのヤナが設けられる。ヤナが設けられる辺りを、翼をけがして北へ帰れなくなった4羽のコハクチョウが行ったり来たりしていて、Mさんが1年中彼らの世話をしている。

残留コハクチョウは古い順から「左助」「左吉」「左七」と名づけられた。昨年加わった「さくら」は、仲間が戻って来た秋には飛べるようになって姿を消した。「左七」も仲間にまぎれこんで分からなくなった。Mさんの話では「さくら」もここにいる。

孤独癖のある「左助」とのんびり屋の「左吉」が、今シーズンはどういうわけかヤナの下流の中神谷字調練場にとどまり、ヤナの上流、300~400メートルのところでにぎやかにしている仲間のところへは行こうともしない。かえってオオハクチョウの幼鳥など20~40羽を引き寄せる呼び水になった。 

Mさんは、できればえさやりを1カ所で済ませたい。ところが、「左助」らがそんな調子だから調練場でえさをやり、塩の越冬地でえさをやり、「左助」と「左吉」の姿が見えなければ軽トラで河口の方まで探しに行き、と人知れず苦労を重ねてきた。

約200羽の大集団に合流した「左助」は、数十羽のときと違った行動を取るのだという。「パン屑なんか見向きもしなかったのが、争って食べてんだ。群集心理が働くんだべね」とMさん。

いずれにしても北へ帰る時期が近づいている。別れの挨拶を兼ねてしばし一緒に過ごす気になったのだろう、と勝手に解釈することにした。(その通りだったかもしれない。けさ=2月26日=見たら、「左助」と「左吉」は調練場に戻っていた)

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