2009年3月19日木曜日

隣人を送る


隣組で葬式ができた。班長なのでカミサンが連絡に回り、一緒に寺=写真=の檀信徒会館で営まれた通夜と葬儀・告別式に臨席した。

故人は学校の先生で、40代前半で教壇で発症し、右半身が不随になった。私たち家族が引っ越して隣人になったのはその2年後。ざっと30年前のことだ。奥さんは退院したご主人を車に乗せて、働きながらリハビリへ通った。その間、子どもたちの面倒をみたのは昵懇にしている同じ隣組の人だった。

リハビリを始めてしばらくたってから、ご主人が1人で散歩をするようになった。右半身は不自由なままだ。が、そろりそろりと始めた歩みは日を重ね、月を重ね、年を重ねて随分と達者になった。幸い、再発もなく30年余が過ぎた。

で、いつからか朝、昼、午後と歩く回数が増えた。すごいことだ。言葉も体も不自由だったが、歩き続けているうちに足取りがしっかりして、ほほえみが生まれるようになった。想像を超える、遠いところまで足を延ばすこともあったらしい。葬式に参列していた知人に教えられて分かった。

家にいる時間の長い、地域の奥さんたちはそっとご主人を見守った。通りがかった車が、ご主人が横断するのを待ったり、ご本人が疲れて歩道に座り込んでいると、通りすがりの人たちが心配したり……。それでも手を差し伸べると拒む頑固さがあった。その一徹さで不自由に耐え、不自由を受け入れ、リハビリを重ねてほほえむことができたのではないか。

昔からの街道沿いながら、ニューカマーがポツン、ポツンとやって来て根を生やしたような新旧混在の町。ふだんは没交渉だが、どこかでお互いに気をかけながら暮らしている、そんな雰囲気がある地域だ。

告別式の遺族・親族代表あいさつのなかに、地域の人たちが長い間故人を見守ってくれたことに対する感謝の言葉があった。一面ではその通り。しかし、それ以上に故人の頑張りを地域の人たちが分かっていた。それで「見守る」という協力ができた。故人を見送る言葉は一様に「よく頑張った」だった。

0 件のコメント: