2009年4月18日土曜日

卒寿夜話


先日、「ホールのおっちゃん」から電話がかかってきた。住所を教えてくれという。二、三近況を報告したあと、駆け足で逝った初代いわき地域学會代表幹事里見庫男さんの話になった。「お互い長生きしましょう」。90歳を超えた「おっちゃん」に励まされる。

「ホール」はいわき市平にあった草野美術ホール。「おっちゃん」はそのオーナーだった。声を聞くのは昨年4月、平のギャラリー界隈で阿部幸洋の個展が開かれた際に会って以来、1年ぶりか。

後日、「卒寿夜話」という小冊子が郵送されてきた。自分の息子と孫にと、91歳の誕生日(3月15日)を記念して編んだ15ページほどの文集である。ついでに、私も何度かこうした冊子の恵贈にあずかっている。

昨年7月から今年3月まで9カ月間のメモの抜粋だが、この間に救急車で病院へ運ばれることもあったらしい=写真。寿命は天の神様が決めたもの、思し召しの声がかかったら「はいよ!」と返事して、広大無辺の空間へ消え去るだけ――そう決めている人だから、いたって冷静に自分の衰えを見据えている。

常磐の「ゆったり館」で毎日泳いでいる、という文章には「泳ぎは上手になって、三途の川を泳ぎきって、極楽浄土に行くつもりでいる」とある。「死ぬ覚悟 時々決めて 生きてます」といった川柳もある。

先の戦争では隼の戦闘機乗りだった。「B29を撃っていたら、B29の弾がハヤブサに当たり、じいちゃんの機は、清洲飛行場に落とされてしまった。基地に戻ったら、じいちゃんのご飯茶碗には、箸が十字に差してありました。なに思って食べたのかは忘れてしまいましたが……」

「従容と 覚悟をきめた 二十代」だった。それが今に続く生き方に反映されている。だから小冊子が届くたびに、「おっちゃん」は自分の心のかたみを分けているのだなと受け止めてきた。今度もそう思っている。死を思え、死を見つめよ、と。こんなおやじはちょっといない。

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