2009年4月20日月曜日

石巌山人・今泉恒丸


きのう(4月19日)の続き。阿武隈高地は三春領常葉(現田村市常葉町)から江戸へ出て、名を成した俳諧師がいる。石巌山人こと今泉恒丸(1751―1810年)。小林一茶の親友だ。浅草の札差「井筒屋」五代目、すなわち俳人夏目成美のサロンに出入りしていた。

成美亭では7日、17日、27日とおおむね7の付く日に句会が開かれた。一茶や恒丸が成美亭に出向いて歌仙(連句)を巻く。その記録が一茶の句日記に残っている。例えば文化2(1805)年3月27日。夜白という俳人の発句に成美が脇を付け、一茶、恒丸、莚志、浙江が句を詠みつないで18句の半歌仙をつくった。

同じ年の閏8月27日には、一茶の発句に成美が脇を付け、浙江・梅寿・太蟜・莚志・恒丸・一瓢・素桃・知梁・李台が加わって36句の歌仙を仕上げた。

恒丸は江戸が大火に遭った翌文化3(1806)年、門人青野太筇の招きで下総佐原に移住し、4年後、そこで亡くなる。佐原時代の門人は常陸・房総合わせて4,000人近くいたという。多少は割り引いて考えるとしても、べらぼうな数だ。なかなかの教え上手だったようである。

杉谷徳蔵著『小林一茶と房総の俳人たち』には「単なる地方文人としてでなく、常総俳壇の興隆の原点として、今後とも学術的に究明されるとともに、見直されてよい俳人」とある。“自由業”になった今、この「ふるさとの大先輩」を調べるのも楽しみの一つになった。

ちなみに「石巌山人」の別号はふるさとの山・阿武隈高地最高峰の大滝根山=写真=に由来する。石巌山、すなわち石灰岩の山、大滝根山。そこから一茶たちに光を当てると、また違った風景が見えるはずである。

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