2009年5月3日日曜日

魚偏漢字の研究家


昔、いわきに勤務したことのある新聞記者氏が仙台市に住んでいる。名前がふるっている。愚人。グジン。本名だ。先日、久しぶりに会って話をした。

定年で記者人生には終止符を打った。歌人である。「一人百首」と題する歌集をもらったことがある。そして今は、魚偏漢字の研究に没頭しているという。会って話した時間は30分くらいだったが、とうとうと魚偏漢字の解説をしてやまなかった。資料までもらった=写真。一例。「生きた化石」シーラカンスは「魚」偏に「化」。しごく分かりやすい。

潔いと思ったことがある。「インターネットは?やらない」。記者人生を終えるのと同時に、パソコンとは縁を切った。アナログに生きる。それはそれで結構なことだ。福島市に住む元同業他社氏もこの春、定年退職をした。同時にインターネットともおさらばした。こちらもアナログ人生に戻ったわけだ。

「情報格差」がいわれるが、アナログの世界だけでも必要な情報は取れる。暮らしていくのにそれで不便はない。不自由もない。アナログ時代が長かった「団塊の世代」であってみれば、デジタル社会の海に飲み込まれることなく暮らすことができる。

一点集中、あるいは二点、三点集中で第二の人生を生きる。十分働いてきたのだから、これからは思う通りに自分の時間を使えばよい。それが、グジン氏の魚偏漢字研究になり、同業他社氏のコンサート巡りになった。

魚偏漢字の解説はできないが、十代のころに同級生に教えられて覚えた魚偏漢字がある。「鮭鮫鱈鯉」。サケ・サメ・タラ・コイ。酒さめたら来い。飲み過ぎるなという戒めにしているのだが、今もって守れない。

0 件のコメント: