2009年6月10日水曜日

『シベリヤ抑留記』


いわきで職を得たころ、アマチュア画家の広沢栄太郎さんと知り合った。国鉄職員だった。先日、民話を語る「いわきの姉さん」の話を書いたが、その叔父さんだ。先の戦争で、現役兵としては昭和11年、応召兵としては同16年、朝鮮羅南にある部隊に入隊し、同20年8月の敗戦と同時にソ連に抑留された。

昭和23年に復員するとすぐ2カ月をかけて、2年半余の強制収容所生活を50枚の画文集にまとめた。「シベリヤ抑留記 ある捕虜の記録」である。収容所(ロシア語で「ラーゲリ」)では鉛筆で小さなザラ紙に数百枚をかきためた。それを、帰国集結地ナホトカの手前で焼き捨てた。没収されるのが分かっていたからだった。

なんとか世に出したい。当時、いわきの先端的なギャラリーだった「草野美術ホール」のおやじらと諮って自費出版の裏方を務めた。36年前のことだ。以来、詩人の石原吉郎、画家の香月泰男とともに、「シベリア抑留」の言葉がよぎると広沢さんを思い出す。

きのう(6月9日)の夜、いわき市文化センターで開かれた「いわきフォーラム90」の第309回ミニミニリレー講演会もそうだった。「聴き語りシベリヤ抑留」の予告を知り、広沢さんの本を携えて駆けつけた(といっても、自分の本の整理が悪くてどこにあるか分からない。しかたなくて、いわき総合図書館から借りた)。

今年85歳になる体験者3人と、亡くなった1人の奥さんの計4人が当時の様子を語った。過酷な労働と粗末な食事、仲間の衰弱死、望郷……。広沢さんの画文集に描かれていた世界=写真=を、生の言葉で、淡々と、ときに嗚咽を抑えながら伝える。広沢さんの本が初めて私のなかで立体化された、という思いがした。

と同時に、詩人の友人が亡くなる前、強制収容所の取調官に対して発した最後の言葉もよみがえった。「もしあなたが人間であるなら、私は人間ではない。もし私が人間であるなら、あなたは人間ではない」。「あなた」とは取調官のみならず、ソ連のスターリニズムそのものでもあったろう。

4人の話はいずれこの欄で紹介しなければ、と思う。とりあえず、きょうは広沢栄太郎というアマチュア画家がいて、『シベリヤ抑留記 ある捕虜の記録』をかつて出版したということをお知らせするにとどめたい。極限状況の話を受け止めるには、こちらの脳細胞が軽すぎる。一語一語を反芻するのがやっとだからだ。

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