2009年6月19日金曜日

『放浪記』は現代の書


このところ、林芙美子の『放浪記』や読本を反復して読んでいる=写真。野口雨情記念湯本温泉童謡館でサトウハチローについておしゃべりするために、関連する本を読んでいることを先に書いた。ハチローの弟子の菊田一夫の評伝などで、菊田一夫が19歳のころから林芙美子と交流していることを知った。

で、『放浪記』を手に取ったら、これが面白い。小林多喜二の『蟹工船』とはまた違ったかたちで、さすらいのどん底暮らしを描く。街を、男を放浪しながらも、しかし文学への希望を失わない。現代の書、青春の書だ。

草野心平・サトウハチロー・小野十三郎・野村吉哉……。心平らが創刊した同人雑誌「銅鑼」でつながる詩人たちだ。それだけではない。ともに明治36(1903)年生まれ。彼らは20歳のときに関東大震災を経験する。

林芙美子もその年、20歳。詩を書いていて、のちに野村吉哉と同棲する。この野村吉哉が大変な人間だった。ドメスティックバイオレンスに突っ走る。詩人の松永伍一にいわせれば、サディストでヒステリーの持ち主だ。

『放浪記』にはそのころ書いた詩が挿入されている。これに強く引かれた。『放浪記』はそもそも、芙美子が書いていた「詩日記」が原型だという。

<さあ男とも別れだ泣かないぞ!/しっかりしっかり旗を振ってくれ/貧乏な女王様のお帰りだ>(野村吉哉の前の同棲相手、新劇俳優と別れて)

<矢でも鉄砲でも飛んでこい/胸くその悪い男や女の前に/芙美子さんの腸(はらわた)を見せてやりたい>

<冨士山よ!/お前に頭をさげない女がここにひとり立っている/お前を嘲笑している女がここにいる>

開高健流にいえば、崖っぷちに立たされながらも破れかぶれ、開き直って野原を行くような明るさ。冨士山に挑みかかる姿勢がなんとも小気味いい。冨士に引かれる男ども、たとえば北斎の絵、心平の詩と芙美子の詩を比較すると、いろいろ違いが見えてくるのではないか。決して古くないのだ。

菊田一夫の戯曲「放浪記」は、森光子主演で昭和36(1961)年10月に初演された。最近、上演2,000回を達成した。森光子に7月1日、国民栄誉賞が授与される。

いろいろ資料を読み込む過程で、林芙美子をよく知る菊田一夫だからこそ作り得た作品だということが分かった。林芙美子の『放浪記』に仮託した、「詩人菊田一夫」の青春の記でもあるのだという。超ロングランのわけがそこにありそうだ。

サトウハチローに関して、林芙美子は死ぬ直前の女流文学者座談会で極貧時代を振り返り、こんなことを言っている。「講談社の原稿売り込みの常連にサトウハチローさんがいたわ。……なつかしいわ」。ハチローともつながっていたのだ。

0 件のコメント: