2009年7月22日水曜日

ちゃんと遊ぼ!


東の空に虹=写真=がかかった夕方、2歳の男の子が両親と生まれたばかりの弟と一緒にやって来た。2歳児には、われら夫婦は格好の遊び相手らしい。

室内で三輪車にのり、ブロックを積み、電気スタンドをつけたり消したりする。お鈴をチーンとやる。炊飯器のふたを開ける。自分で電車のDVDをかける。カミサンと台所で水遊びをする。私の手を引っ張って車に乗り込み、ハンドルを握る。運転している気分になるのだろう。

ちょうど晩酌を始める時間。一通り男の子とつきあったあと、チビリチビリやり始めたら、男の子が強い調子で呼んだ。「ジイ、ジイ!」。遊びに手を抜いたのを見抜かれたので、「ハイ、ハイ」と二度返事になる。通訳すればこんな感じか。〈なんで遊ばないの? ちゃんと遊ぼ! 駄目じゃないか!〉。しかたない、晩酌は一時中断してブロック積みに加わる。

2、3歳の幼児は遊びが仕事。遊んで一日が暮れる。睡魔に襲われながらも遊びをやめない。そのなかでいろいろと学習し、知恵も知識も身につけるのだろう。まずは見てまねる=まねぶ、つまり「まなぶ」(学ぶ)、だ。見てないようでちゃんと見ている。これが人生の上り坂にある幼児の知の骨格をなしているようだ。

たとえば、男の子の両親の車。白い色で、形も似ている。人生の日暮れを生きる人間には、どちらがだれの車か見分けがつかない。男の子は区別がつく。ナンバーの違いで、か。そうだとしたら、数字ではなく模様として微細な違いを見ているのだろう。

そんな細部の違いまで大人は把握しきれない。あらかじめいろいろな情報を詰め込んでいるので、かえって見えなくなっている。幼児のようなニュートラルなまなざしはもう持ちえないのか。

いや、幼児もまた年齢を重ねるごとに見えなくなるものが増えていくのだ。と思えば、せめてこの時期、男の子とは一対一の関係で対等に、真剣に遊ぶことだ。遊びが手抜きだと見抜かれないように。

この遊びを通じて学ぶことはいっぱいある。「ぞうさん」のまど・みちお、「アンパンマン」のやなせたかしについて調べる気になったのも、彼のハミング、身ぶり・口ぶりからだ。

大人になって、広く浅く――という世界で生きてきた。それで「見えなくなった」ものもいっぱいある。今度は、狭く深く――を心がけて、あらためて「見る」ことについて考えをめぐらしてみたいと思う。

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

「夕景の虹」でしょうか?
雲の切れ間をつんざき落ちるように差し込んでますね!

縦の写真、初めて観たような新鮮さです。