2009年7月26日日曜日

猫はいつも“土足”


蒸し暑くなってから、わが家は窓も戸も全開状態だ。猫はいよいよ室内外への出入りが自由になった。おかげで朝はときどき、部屋の掃き掃除をしなければならなくなった。

猫はいうまでもなく“土足”で庭から上がって来る。猫の足の裏に付いている砂が少しずつだが畳に残る。人間も気温が上がってきたために、部屋では素足で過ごす。裸にはならないが、半袖シャツ・半ズボンのぎりぎりの姿になる。

で、素足のために畳のざらざらが気になり出した。起きれば、まずホウキで部屋を掃く。カミサンは靴下をはいて過ごすから、そんなことは気にならないらしい。結局、私の仕事が一つ増えた。

座布団は夏になって、茶色から紺色のものに替わった。猫がときどきそこで丸くなっている。茶色のときより砂と毛が目立つ。座布団も朝、縁側でパタパタやる。留守にするときは、猫が寝転がらないように座布団を立てておく。そんなときには、猫は木の置物を休み場のひとつにする=写真

前にも書いたことだが、猫は好きでも嫌いでもない。が、1匹いれば十分というのが私の考え。それが、3匹もいる。家の外にも野良かどうか、カミサンがえさをやる猫たちがいる。これを私は「猫かわいがり」と思っている。それで、ときどき口論になる。

「猫かわいがり」は、人間の自己満足でしかないのではないか。猫そのものの生き方、存在に思いを巡らせれば、「猫かわいがらない」という態度が必要なのではないか。と言っても、カミサンはきかない。逆に、「かわいそうだと思わないの」となると、へきえきして「勝手にしろ」だ。

でも、「猫かわいがり」の人間がいるから猫は甘えるのだ――と思っているので、私は容赦しない。茶の間で昼寝をしていると、縁側からときどきよその猫どもが侵入してくる。子猫までまねして入って来る。すぐそばで「ガオッ」とやったら、子猫はとびあがって逃げ帰った。

それよりもっと効果的なのは、私の顔を見たら猫が逃げるように仕向けることだ。「ガオッ」だけでは、猫はたかをくくって逃げなくなる。手を上げる。足を上げる。「こらっ」。それにも慣れてしまう。足をつかんで説教してやりたいくらいだ。

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