2009年8月13日木曜日

盆の入り


梅雨が明けないまま秋がきて、月遅れ盆に入った。わが散歩コースで目にする新盆灯篭=写真=は4つ。8月に入ると、業者の手で家の入り口に灯篭が取り付けられた。今晩、迎え火と一緒に明かりがともることだろう。

カミサンの伯父が首都圏からわが家の近くに移り住み、悠々自適のあと亡くなったのが数年前。新盆の年は、今年と同じような長梅雨で、盆に入ってやっと暑さが戻ったのだった。そのときの坊さんの話が忘れがたい。

盆棚に「キュウリ馬」と「ナス牛」を飾る。精霊が彼岸から自分の家へ戻って来るときには馬のように速く、自分の家から彼岸へ帰るときには牛のように遅く――という願いが込められている。玄関先の灯篭は、その精霊が夜、迷わずたどり着くための明かりだ。

盆棚にだったか、そばにだったか、頂き物のトウガンが置いてあった。それを見て、坊さんは「トウガンの煮物が大好きなんですよ」と言った。精進料理にそういうものがあるのだろう。

キュウリも、ナスも、トウガンも太陽エネルギーがもたらしたものだ。伯父の新盆よりさらに何年か前、水稲が大凶作になった。晩秋、関東圏に住む同級生から「米が欲しい、何とかならないか」という電話が入った。水稲は今が正念場。花が咲いて実がなるのはキュウリもナスも同じだが、このところずっと日照不足と多湿が続いている。秋が心配だ。

隣のコンビニがつぶれてコインランドリーに替わった。早朝5時から未明の1時まで営業している。休日ばかりか、平日も5時になると機械がうなり出す。外に干したくてもこの雨模様だ。今朝も散歩に出ると、朝飯前に洗濯物を片付けたい――そんな人が車の中で待機していた。近くの寺では墓参に来た人たちがあいさつを交わしながら掃除をしたり、花を手向けたりしていた。

さて、6日に広島、9日に長崎で原爆忌が営まれた。15日は64回目の終戦記念日。毎年のことながら、8月にはいささかなりとも生と死や戦争と平和といったことを考える。

今年は特に、いわきの文化活動の推進エンジンだった人が亡くなった。いまだにその死が信じられない。が、現実は現実として、その人の死を超えて動いていかざるを得ない。その人は環境や平和について深く考えるところがあった。つまるところ護憲である。その遺志の一端は引き継いでいかねば、と思う。

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