2009年8月16日日曜日

笠踊りとじゃんがらと


私の住む地域は、江戸時代には笠間藩の分領(飛び地)だった。そのためかどうか、青年会は新盆供養に、「じゃんがら念仏踊り」ではなく「笠踊り」を披露する。笠間藩だから笠踊り?というのはゲスの勘繰り。ほんとうは、なにかそうなった理由があるのだろう。

隣家のご主人が春に亡くなり、新盆の灯篭が立った。おととい(8月14日)の午後、別の新盆家庭で歌い、踊っていた地元の青年会がやって来て、隣家で笠踊りを披露した。ちょうど新盆回りで出かけるとき。歌と踊りは聞かず、見ずじまいだった。

夕方には、同じ順序でじゃんがら念仏踊りの一行がやって来た。夏井川の対岸下流にある青年会の名前が浴衣に染め抜かれていた。

玄関の前に屋根付きの狭い駐車場がある。♪チャンカ、チャンカ、チャンカ、チャンカ……。その駐車場を舞台に鉦を切って踊り始める=写真=と、ぞろぞろ周囲の家から人が現れ、歩道に人垣ができた。幼い子どもは自然と体を動かしてリズムを取る。

じゃんがら念仏踊りの輪に入り、一緒にぐるぐる回る女の子が2人いた。亡くなった隣人の孫だ。精霊となって帰って来た隣人もにこやかにじゃんがらを、孫を見ていたことだろう。

笠踊りとじゃんがらと。新盆供養の二つの踊りで、江戸時代、この辺は磐城平藩だけではなかったことを再認識する。夏井川を軸にして、こちらとあちらを考えれば、磐城平藩にとっては笠間藩分領の神谷はあちらに属する。神谷から見たら、磐城平藩があちらだ。

その二つの地域が夏井川で接する平・鎌田、「平神(へいしん)橋」の下。8月20日に夏井川流灯花火大会が開かれる。この河原で三つの踊りが披露される。じゃんがら念仏踊り、笠踊り、そして会場に一番近い梅ケ香盆囃子保存会の盆囃子。盆囃子はよく分からない。

同じ気圏の底で、たかだか3、4キロの範囲内で、違う踊りが伝承されている。考えてみれば、不思議なことだ。

同時に、踊りは死んだ人間を慰霊するだけでなく、生きている人間をも元気づける。いや、そちらが主ではないか――。2歳の孫がこちら側にとどまり、予定より一日早く盆の入りに退院したこともあって、よけいそう思った。

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