2009年9月10日木曜日

10月、小野町で夢二展


竹久夢二(1884~1934年)は、福島県とはゆかりが深い。明治35(1902)年秋、18歳で早稲田実業学校に入学した。同級生に3歳年下の現田村市船引町の助川啓四郎(のち代議士)と田村郡小野町の藤田平重郎がいた。春入学組の啓四郎は級長だった。

夢二にとっては、特に啓四郎の存在が大きい。村長、県議、やがて代議士になる彼のネットワークに支えられて、福島・郡山・会津若松・三春などの地に知りあいができた。彼らは画会を主催し、絵を買ってくれる有力者でもあった。啓四郎はさらに、夢二最初の本『夢二画集春の巻』の出版資金を援助している。

夢二は大正10(1921)年の8月中旬~11月下旬まで、福島県内を主にみちのくに長期間滞在した。その長逗留の折、いわきの湯本温泉を訪れて山形屋旅館に一泊している。同旅館は、今はない。

読売新聞に入社し、「涼しき土地」の取材で初めてみちのく入りをしたのが明治40(1907)年。松島からの帰途、夢二は浜通りを南下し、湯本温泉の松柏館に一泊した。それ以来の湯本温泉泊まりだ。――いわきにも縁がなかったわけではない、ということを言いたかった。(以上は内海久二『夢二 ふくしまの夢二紀行』を参考にした)

昭和60(1985)年にいわき市立美術館で竹久夢二展が開かれた。そのとき、山形屋旅館にあてた書状が展示された。図録によると、夢二は旅館特製の黄八丈の丹前が気に入り、後日それを譲り受けた。それへの礼状だ。

元山形屋旅館関係者の談話が興味深い。再び図録。――非常に美しく、背のスラリとした和服姿の女性を伴ってやって来た。夢二と深くかかわった「たまき」「彦乃」「お葉」のうち、最後の「お葉」だろうと、企画展担当学芸員氏は推測する。

黄八丈の和服姿の女性が黒猫を抱いている「黒船屋」は、大正8年に制作された。夢二の代表作の一つだ。夢二の黄八丈好みが分かる。

野口雨情記念湯本温泉童謡館で毎月、童謡詩人についておしゃべりをしている。8月は夢二。9月も引き続き、夢二についておしゃべりをする。いわき総合図書館に通っていろいろ調べているうちに、9月1日が夢二の命日で、今年は没後75年に当たることが分かった。その節目の企画なのか、隣の小野町から夢二展の案内状が届いた。

中に入っていたチラシ=写真=に、夢二展は10月3日~18日、小野町ふるさと文化の館・美術館で開かれる、とあった。何度か企画展を見に行ったことがあり、その縁で案内状が送られてきたのだろう。風景画や雑誌の表紙を飾った木版画・楽譜の表紙絵、夢二装丁の本など約80点を展示する。

始まったらすぐ夏井川をさかのぼり、夢二の世界にひたってこよう。帰りは小中学校の同級生の嫁ぎ先で和菓子を買って。

0 件のコメント: