2009年9月1日火曜日

元同僚の死


まさか、と思った。氏名と住所、喪主、すべて一致する。私の古巣の新聞に葬祭場の葬儀広告がある。そこに元同僚の名前があった。

元同僚というよりは、友人を介して知り合った“飲み仲間”が最初だった。たぶんこちらは社会人1年生になったころ、彼は大学を中退して帰郷したばかり。19歳か20歳だったと思う。そのあと、縁があって同僚になった。25年以上は一緒に仕事をしただろうか。

社を去ったあとに会ったら、「また一緒に仕事をしたい」と言ってくれた。同じいわき市内に住みながらも、だんだん風の便りが遠くなって消えた。一人娘のAちゃんが高校に入ったのを知ったときは、会社への出勤途中にすれ違わないかと、女学生をそれとなくチェックしたこともある。

そして、もう一つ。この葬儀広告より何日か前に、別の元同僚からはがきが届いた。元同僚というよりは、私の「ついのすみか」(唯一の不動産ともいうべき墓の用地)がある寺の住職だ。

「當山先住職石雲和尚かねてより四大不順の処、薬石効果無く去る八月十日遷化致しました。津送(本葬)は来る十月一日午前十一時より當山本堂で執り行います。合掌」。おやじ殿が亡くなったのだ。臨済宗では遷化から四十九日目に本葬をする。それで10月1日なのだろう。

知らせを受けて、車でちらりと寺の様子を見に行ったら、門前に「山門不幸」の立て札があった=写真。書体は元同僚のものに違いない。

親が高齢になって逝くのは、順送りだからいたしかたないことだ。でも、年下の人間が、それも50歳代で逝くのはきつい。喪主の奥さんも元同僚。つらいものがある。

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