2010年1月9日土曜日

お年玉


テレビの脇に正月を演出するミニ飾りがある=写真。当分、置いたままにするらしい。もう正月気分は飛んで、日常が戻ってきた。やれやれ。だが、正月はやはり気持ちが改まる。2日に甥の家族や、わが息子の家族など十数人が一堂に会した。中学生一人、ほかに幼児、乳児が3人。子どもたちの楽しみは「お年玉」だ。

とはいえ、中学生を除けばまだ「お年玉」の実感には乏しい。一斉にぽち袋が行き交う。「ありがとうございます」と言って喜ぶのは親たちだ。

世代が一つ移り変わった。わが子どもたちが、お年玉をもらう立場からあげる立場に変わった。お年玉は、子どもにとっては天から降って来る恵みのカネだ。われわれが子どものときはどうだったか。親からちょっと多めに小遣いをもらった記憶がある。が、叔父や叔母からじかにもらった記憶はない。

もらったのだろうか。???だが、高度経済成長が始まる前だから、お年玉をあげられるほど経済的な余裕はなかっただろう。

初売りも旧正月でやっていた。旧正月の二日目。まだ暗いうちから通りがにぎやかになる。ハレの日だから、すぐ目がさめる。なにか買い物をした。それが楽しい記憶として残っている。

後日、近くに住む子どもが息子を連れて来た。「ジイジに買ってもらいたいものがあるんじゃないの」とけしかける。ん? なにかおもちゃがほしいようだよ、という。孫が小さな声で「トイジャラス」と言った。トイザラスに行こうというのだ。お年玉はあげたはずだが……。

ま、しかたない。「ダメだ」というわけにはいかない。親の策略にのってトイザラスに出かけた。孫は店内に入ると、勝手に歩いて行く。買いたいおもちゃのある場所が分かっている。最初のものは売り切れだった。次に買いたいもののある場所に直行する。「これ」。8両連結の列車だ。カネのないジイジに代わって、バアバが代金を支払った。

年末に見たテレビ番組にこういうのがあった。中国の、ある長寿の村の正月。孫たちが出稼ぎから帰って来て祖母に代わる代わるお年玉をあげる。なかで一人、顔を出さない孫がいた。リーマンショックで稼ぎが減り、祖母にあげるお年玉を用意できなかったのだ。現実は厳しい。が、長生きすれば孫からお年玉をもらえる風習をうるわしく思った。

0 件のコメント: