2010年2月9日火曜日

前知事、地方自治を語る


いわきの地域づくり運動をめざす人々の横断的団体「いわきフォーラム’90」のミニミニリレー特別講演会が7日午後、いわき市文化センターで開かれた。佐藤栄佐久前福島県知事が〈「地方自治」を語る――「知事抹殺」からみえてくるもの〉と題して話した=写真

月2回開いているふだんのミニミニリレー講演会は、受講者が数人~十数人というのが実情。ところが、ネットで開催を知り、わざわざ八戸市からやって来たという男性を含め、およそ80人が聴講した。

前知事は2006年秋、県が発注したダム建設工事をめぐる“贈収賄事件”で東京地検特捜部に逮捕された。が、前知事は一貫して潔白を主張し、一審、二審の判決を不服として上告した。前知事の主張が正しいとすれば、これはでっちあげられた事件=冤罪ということになる。

演題にある「知事抹殺」は、前知事が昨年9月に刊行した『知事抹殺――つくられた福島県汚職事件』(平凡社)による。この「知事抹殺」事件とからめながら、前知事がどんな理念・哲学に基づいて「地方自治」(福島県政)を推し進めてきたか、を語った。

そのうちの一つが、首都機能移転問題だ。これに関する朝日新聞「論壇」への投稿〈新首都は「森に沈む都市」を目指せ〉=平成8年3月=に目を見張った記憶がある。

阿武隈の山中で生まれ育った私は、ふるさとの山河が首都機能移転という名目で大改造されるのではないか、そう危惧していた。そこにコンパクトな「森に沈む都市」というイメージが付与された。

自然を改変してできあがった大都市と違って、森=自然と混然一体となった小さな「森林型社会」こそが21世紀にはふさわしい――そんな認識を持つに至ったのも、「森に沈む都市」というフレーズが少しは影響している。

講演では、前知事自身の「思想形成史」に興味を持った。高校時代に、ソ連によるハンガリー侵攻が起きる。大学時代には60年安保があった。30歳のときにチェコ事件が発生する。早くから政治に関心を抱いていた。民主主義と人権にかかわるものに無関心ではいられなかったのだろう。

それと並行して『岩波茂雄伝』を介して藤村操を知り、E・H・フロムの『自由からの逃走』などを読む。さらには、青年会議所時代に安藤昌益を知り、自分で学問をつくりあげた個性に引かれていく――書物から得たものを咀嚼し、血肉化していく知的な営為はなかなかのものだ。

少なくとも、思索を深め、理念・哲学を形成する生き方から、私は前知事が「慎み深く、考え深く」を実践しようとしている人だ、ということが理解できた。それを、この目で、耳で確かめられたのはよかった。

三木卓の詩句に「日常に堪えられない思想はだめである」というのがある。思想と行動とが違っていては駄目だよ、自分に恥ずかしいよ――そういうことだと私は解釈している。久しぶりにこの一行が思い浮かんだ。

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