2010年3月4日木曜日

豊田君仙子の句碑


1カ月前の節分の日に、田町(いわき市平の飲食街)で酒を飲んだ。現役のころと違って、今は年に2~3回しか出向かない。別の場所でアルコールを仕込んだあとの2次会だった。仲間の案内で初めてのスナックを訪れた。その顛末は「オニがさまよった夜」に書いた。

ママさんとおしゃべりしているうちに、豊田君仙子(1894~1972年)の話になった。君仙子は、いわきと同じ浜通りの北部、小高町(現在は南相馬市)の俳人だ。ママさんはその孫だという。

小高町からは、日本の近代思想・文学を語るうえで欠かせない重要な人物が輩出している。思想面では、憲法学者の鈴木安蔵、「農人日記」で知られる平田良衛。文学面では『東京灰燼記』を著した大曲駒村、そして豊田君仙子。この人たちは親が交流していたり、幼なじみだったりして、どこかでつながっている。作家の島尾敏雄もこれに加えていいだろう。

この一年以上、山村暮鳥や野口雨情を介して「いわきの大正ロマン・昭和モダン」を調べている。そこから枝分かれした興味・関心の一つに、平時代の暮鳥のお隣さんだった弁護士一家(新田目善次郎の家族)がいる。その家でボヤが発生した話を「暮鳥とお隣さん」に書いた。新田目家とつながる小高町の人間もその過程で知ったのだった。

善次郎の奥さんが鈴木安蔵の叔母だった。安蔵の父親は早くに亡くなる。で、善次郎の子どもたちと安蔵とは、平と小高に離れていてもきょうだいのようにして育ち、やがて平のいとこたち(三姉妹)は兄とともに左傾化する。ダンナさんたちがすごい。日本の左翼史に残る人物ばかりだ。

それはさておき、君仙子さんだ。平田良衛は自著の『農人日記』に〈豊田君仙子先生と俳句〉という一章をもうけた。「先生は俳句の達人であると同時に、酒盃をとってもまさに酒聖であり、詩聖であります。絶品の俳句がすらすらと生ずる。達人です。(略)先生は時たま私宅にもお見えになり酒をたのしみます。以下はかくして生まれた先生の絶品です。」

百鶏のひるねどきなり花りんご
豚の子のそぞろあるきや紫蘇の花

〈摩辰の平田家にて 君仙子〉の前書きがある2句が紹介されている。

いわきにも二つの句碑がある。久之浜・波立寺の「紫陽花(あじさい)や潮の満干のすぐ下に」。そして、川前町の夏井川支流・鹿又川渓谷の「滝ところどころ紅葉いそぎけり」=写真。旧いわき市観光協会発行のポシェットブックス3『いわき文学碑めぐり』によれば、君仙子はいわきにもよく俳句指導に訪れた。

きのう(3月3日)、夏井川渓谷の無量庵へ行ったついでに、川前の鹿又川渓谷まで足を伸ばし、君仙子の句碑をカメラに収めた。

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