2010年4月30日金曜日

花吹雪


「昭和の日」のきのう(4月29日)、夏井川渓谷(いわき市小川町上小川字牛小川)の無量庵へ出かけてネギ苗の虫退治をした。モグラが苗床のへりに何カ所か穴をつくっていた。モグラ道ができると根が空気にさらされ、栄養を吸収できないでしおれる――野菜にはよろしくない生き物だ。穴を埋め戻したが、いつまで持つことやら。

さて、夏井川渓谷のアカヤシオは花が終わりに近づいた。いや、よく持ちこたえたというべきか。4月最初の日曜日にちらほら花をつけ、次週日曜日にはほぼ満開、さらに次の日曜日には尾根まで花で埋まった。「昭和の日」も数こそ少なくなっていたものの、咲き残りがあちこちに見られた。低温が続いたために花が持ったのだろう。

26日に無量庵を訪れた中学校の同級生は「すこし早かったみたいです」とメモを残していったが、アカヤシオの花のことなら遅かったのだ。

アカヤシオより少し遅れて咲き出したヤマザクラも花を散らし始めた。牛小川のサクラは、大正6年の磐越東線開通を記念して県道小野・四倉線沿いに植えられたといわれるソメイヨシノを除き、すべてヤマザクラだ。天然由来のサクラが今も急斜面を淡いピンクの花で彩っている。それを、黄緑・緑・茶・薄茶・臙脂といった色の木の芽が包み始めた。

平地から渓谷へと駆け上がる「地獄坂」を越えたあたり(この坂の山もヤマザクラ一色となる)、道端にヤマザクラの木があって、花びらをハラハラ、ヒラヒラ散らしていた。花吹雪で路面が真っ白になっていた=写真。思わず車を止めて「花道」に立った。足を踏み入れるのがためらわれるほどの純潔に目が洗われた。

2010年4月29日木曜日

苗湖分溝八図横巻


郡山市の安積国造神社に、大須賀筠軒(いんけん)詩画・岡鹿門(ろくもん)詩の「苗湖分溝八図横巻(びょうこぶんこうはちずおうかん)」が所蔵されている。4月25日、いわき地域学會の春の巡検が郡山で行われ、宮司の安藤智重さんのご好意でこの巻物を見ることができた。

同神社は江戸時代後期の儒学者安積艮斎(1791~1860年)の生家でもある。艮歳は江戸へ出て佐藤一斎や林述斎らに学び、私塾「見山楼」を開いた。昆斎門からは英才が輩出した。大河ドラマ「龍馬伝」の主要人物、岩崎弥太郎もその一人。磐城の筠軒と仙台の鹿門も昆斎に学んだ。

「苗湖分溝」とは猪苗代湖を取水源に、明治15(1882)年に完成した安積疎水のこと。この年、旧知の筠軒と鹿門が落ち合い、「百世に国益をもたらす一世一代の偉業をたたえて景勝を記録にとどめることにした」。それが「八図横巻」だ。

横巻は仙台の鹿門に学んだ御代田有年(金透小初代校長)の所有だったが、有年が帰郷する際、教え子たちに贈り、散逸を恐れた教え子たちがこれを安積国造神社に奉献した、という経緯をたどる。昆斎の縁によるものだろう。

神社会館4階の安積昆斎記念館で宮司さんの説明を聞いたあと、大広間で「苗湖分溝八図横巻」を見る=写真。縦24.5センチ。横は6メートル56センチもある。一行は、いわきが誇る日本有数の漢詩人、そして画家でもある筠軒の作品をこの目に焼き付けた。神社が発行した翻字・訳注本『苗湖分溝八図横巻・安藤脩重翁碑』も一冊ずつちょうだいした。

引き続き場所を変えて安積昆斎について学んだが、ここでもサプライズが用意されていた。昆斎研究家でもある佐藤栄佐久前知事があいさつを兼ねてミニ講話をした。実は、前知事が2月にいわきで講演した際、昆斎―筠軒に触れていたことから、地域学會のY副代表幹事に骨を折ってもらい、ミニ講話が実現したのだった。

宮司さんは、午後にはガイド役を買って出た。ありがたかった。安積開墾発祥の地・開成館を見学し、『横巻』最後の図「郡山公園飛瀑」をこの目で見た。筠軒たちはここで滝見酒を楽しんだ、などという宮司さんの懇切丁寧な解説があって、より深く理解することができた。天気にも、人にも、資料にも恵まれた最良の一日となった。

2010年4月28日水曜日

また死亡事故


今度の交通死亡事故は、夕刊(いわき民報)が来るまで知らなかった。雨のために朝の散歩を休んだ。事故は4月24日未明、散歩コースの中で起きた。すさまじい事故だったようだ。乗用車が真っ二つに割れ、31歳の若い男性2人が死んだ。

いわき市平中神谷地内の国道6号。片側2車線の直線道路だ。セスナ機くらいなら不時着できるかもしれない。で、車はスピードを増す。ときどき重大事故が起きる。

1月11日夜に横断歩道を渡っていたお年寄りがはねられて死んだ。その現場からおよそ200メートル先、平から四倉方面へ向かう途中に歩道橋がある。それを越えてすぐのところで、また死亡事故が発生した。

猛スピードで車を運転していた。何かの拍子でコントロールが不能になり、歩道に立つ鋼管柱に激突し、車が二つにちぎれた――。鋼管柱がえぐられたあとに、花やたばこ、アルコールがささげられていた=写真

前にも書いたが、平中神谷の国道6号では死亡事故が多発している。今年は既に3人。過去の死亡事故を含めると犠牲者は何人になるだろう。

交通死亡事故対策の一つとして思うのは、死亡事故多発地帯では、道路を直線ではなく曲線にすべきではないか、ということだ。これだけ死亡事故が起きる以上は、直線道路に“欠陥”がある、という認識に立つ必要があるのではないか。

高速道ができた、バイパスができた――となれば、もとの幹線道路には違った役目を果たしてもらいたい。効率より安全を、そのための道路改修を――と、死亡多発地帯にすむ人間は思うのだが、無理か。

2010年4月27日火曜日

風力発電


日曜日(4月25日)の夕方、磐越道を利用して郡山からいわきへ戻った。いわき地域学會の春の巡検の帰りだ。田村郡小野町あたりで山の稜線を見たら、風車が林立している。バスの中からアップしてカメラに収めた=写真。でかい。それが第一印象だ。

いつの間にか、わがふるさとの阿武隈高地は風力発電の基地になってしまった。1カ所や2カ所ではないらしい。なぜ阿武隈は、いや福島県は電力供給基地であり続けなければならないのか。水力、火力、原子力。そして、風力。

風力発電はクリーンエネルギーという触れ込みながら、低周波音による健康被害が取り沙汰されている。両刃(もろは)の剣だ。鳥の目になりがちな営業と虫の目で営まれる生活は、ややもするとぶつかり合う。それを調整するのが政治の力のはずだが、最近はどうもおぼつかない。いや、いつものパターンに陥ったというべきか。

戦後、大滝根山の頂上に進駐軍のレーダー基地ができた。やがて、自衛隊に施設が移管された。稜線に突起物がある――物心づくころからそれを見てきた者は当たり前に思っていたが、古老はそうではなかった。まっさらな大滝根山でなくなった、景観を汚された、と腹立たしい思いでいたのだ。

それと同じことが、この巨大風車にも言えるだろう。風車の近くにすむ人間がいる。そのことを思えば、突如、稜線に出現し、くるりくるりと回る巨大風車群を新しい風景として見ることはできない。これ以上稜線を犯さないでくれ、と言いたくなる。

2010年4月26日月曜日

滝桜渋滞


きのう(4月25日)、いわき地域学會の春の巡検で郡山市の安積国造神社を訪れた。幕末、江戸で活躍した儒学者安積昆斎(ごんさい)の生家だ。磐城の博学・大須賀筠軒(いんけん)は昆斎の門人の一人。神社所蔵の筠軒資料を見学するのが目的だ。

まずは、そこへ行く途中で見た磐越道の“渋滞”を報告したい。船引三春ICはこの時期、三春町の「滝桜」を見に行くマイカーで数珠つなぎになる。ニュースでは承知しているものの、実際は見たことがない。それを見た。あきれるほどの車の列だった=写真

観光バスでいわき(平)をたったのが朝の8時半前。国道49号からいわき三和ICで磐越道に入り、郡山ICを目指した。差塩PAでちょっと早めのトイレタイムを設定したのは、「滝桜渋滞」で近辺のPA、SAが混雑しているはずと踏んでのこと。その通りだった。

船引三春ICは、われらの観光バスが通過した9時20分前後、出口までの渋滞車列が下り線で1キロほど、上り線で倍の2キロはあっただろう。車の数をカウントした人がいて、下りは何百台、上りはその倍と教えてもらったが、数は忘れた。

片側2車線になったから、渋滞を尻目に、郡山へと観光バスはマイペースで進む。が、滝桜見物のマイカーは、ICを出たあとの一般道路でも数珠つなぎだった。磐越道の上をまたぐ橋に、まるで置物のように車が並んでいた。滝桜へたどり着くまで何時間かかるだろう。

記憶はあいまいになったが、ざっと30年前、同業他社の知人を訪ねながら滝桜を見に行ったことがある。人はチラホラしかいなかった。でんと立つ独立樹の風格はあったものの、それだけのこと。まわりはどこにでもある、静かな田園風景だった。

隔世の感がある。滝桜と共に暮らしている近所の人々は、開花時期には見物客で生活が脅かされていることは間違いない。だから、さまざまな制限が設けられるようになる。有名になればなるほど、その軋轢は深まる。有名観光地はみんなそうだろう。滝桜の見物客はすでに飽和状態に達している、といっていいのではないか。

2010年4月25日日曜日

ネギ苗害虫


きょう(4月25日)はこれから、いわき地域学會の春の巡検で郡山市へ行く。そのために、夏井川渓谷の無量庵へは週半ばの21日に出かけた。三春ネギ苗に黒い虫が付いている。捕っても、捕っても現れる。日曜日に行けない分、早めに出かけて虫退治をすることにしたのだ。

無量庵の庭にある2本のシダレザクラが五分咲きになっていた=写真。先の日曜日に咲き始めたのが、3日たって一気に開花した。きっと、きょうは見ごろだろう。アカヤシオもこの低温続きで咲き残っているはずだ。

21日にも行楽客が途切れずにやって来た。熟年夫婦や主婦グループが多かった。ケータイでアカヤシオをパチリとやる。そのとき、「あら、エンガイだわ」。そばの畑にいたので少々考えた。「塩害? 縁がいい?」。少したって納得した。ケータイが「圏外だわ」と言っていたのだ。花眼になると「圏」も「園」も区別がつかない、ということは分かる。

さて、ネギ苗にはやはり、黒い虫がいっぱいたかっていた。早速、手で捕まえてはつぶしていく。苗床にもいる。こちらは指で圧(お)しつぶす。アブラナ科の大根やカブにつくカブラハバチの黒い幼虫に似ている。さわるとポトリと落ちる習性もそっくりだ。

ところが、本にも、ネットにもネギ苗の主要害虫にカブラハバチの幼虫(菜の黒虫)は出てこない。そう心配する必要はない虫だということか。

採種~育苗~定植~収穫という一年のサイクルを繰り返すなかで、いつも春先の育苗段階でこの黒い虫に出合う。何という虫か分からないので、毎年気持ちがすっきりしない。今年もいろいろ調べてみたが、やはり分からずじまいだった。

虫の補殺と併せて細い苗の間引きと草引きをしたら、ネキリムシが5、6匹現れた。かなりの数のネギ苗が根元でちぎられている。犯人はこいつだった。このネキリムシだってまだまだ苗床にひそんでいるに違いない。

日照不足と低温続きなので、苗の定植は5月も後半になってからだ。それまで何回か虫の捕殺を繰り返さなければならないだろう。

2010年4月24日土曜日

ツバメとツグミ


寒さの冬と光の春の綱引きが延々と続いている。木曜日(4月22日)もいわきの山間部は雪に見舞われた。ちょうど一週間前、水石山が冠雪していたので、満開のソメイヨシノの花を入れて撮影した=写真。桜と雪の組み合わせは、いわきの平地ではほとんど考えられないことだ。

天候不順は渡り鳥にも影響を与えている。少しずつ春の気配が濃くなり、夏鳥のツバメが飛来した。一方で、冬鳥のツグミがいまだにとどまっている。ツバメとツグミが同時に飛び回り、雪や雨にぬれる――。いわきではめったに見られない光景だろう。

それで思い出すのは、明治40(1907)年5月、読売新聞に入社した竹久夢二が浜通りをルポして歩いたときのことだ。内海久二著『夢二 ふくしま夢二紀行』(歴史春秋社刊)によれば、夢二は松島の帰り、浜通りを南下する。相馬に入ったときの光景を、内海さんは夢二の文章を受けてこう記す。

「夢二は相馬地方の子馬の群れが柔い夏草を踏んで楽しげに、走ってるのを見たり、天候異常なのか、相馬の山々の見るからに涼しそうな積雪を車窓から見ています」。5月に山が冠雪していた。まさか、そう見えただけではないのか――と読み流したが、今年のような天候不順を体験すると、5月でも冠雪がありえるように思えてくる。

そんなことになったら、農産物は冷害に見舞われやしないか。今までの天候不順よりこれからの天気の方が心配になってきた。杞憂ならいいのだが。

2010年4月23日金曜日

化石館リニューアル


いわき市石炭・化石館(愛称「ほるる」)がきのう(4月22日)、リニューアルオープンをした。3年前だったか、リニューアルのための懇談会が組織された。その一員だったので案内状が来た。

今にもみぞれになりそうな雨の中、建物の入り口前で式典が行われた。屋根はあっても外気にさらされる場所だ。寒さが身にしみた。それはさておき、リニューアルした館内を見て回るうちに、懇談会での議論が少しよみがえってきた。

いわきは一世紀以上にわたって炭鉱産業が栄えたところ。と同時に、海竜(首長竜)をはじめとする化石の宝庫だ。化石燃料である石炭と、さまざまな化石を、自然史の流れに沿ってきちんと展示・紹介すべき、というのが懇談会の主提言だった。

そして、ユニバーサルデザインへの注文。1階から2階へ行くのに、既設の階段だけではなくエレベーターが新設された。車いすで来る人への配慮だ。

目玉はなんといっても1階の化石展示室だろう。いわきで発見されたフタバサウルス・スズキイをはじめ、全長22メートルの巨大草食恐竜・マメンチサウルス、巨大ナマケモノのエレモテリウムなどが群居している。その全体を2階から見られるようになった。これも提言の成果だ。

が、ほんとうの目玉はレプリカではなく、実物だ。白亜紀前期に生息していたという頭でっかちの大型翼竜・アンハングエラ(翼を広げると4~5メートルほど)=写真左=と、ジュラ紀後期に出現した、鳥類のコサギを思わせる小さな翼竜・ランフォリンクス(翼を広げれば40~175センチメートル)=写真右

昔、化石の専門家から実物とレプリカの違いを教わった。本物は無限に情報を秘めているが、レプリカは一つの情報しか持っていない。この実物を見たくて世界中から研究者がやって来るという。

「ほるる」が世界に誇る超一級品なのに、リーフレットにはなんの記述もない。これでは市民も胸を張って観光客に紹介できないだろう。さりげなく、でいいから、どこかに研究者垂涎の的であることを明記しておいてはいかが。

2010年4月22日木曜日

いちめんのなのはな


いつも散歩する夏井川の堤防の菜の花がパッとしない。いわき市北部浄化センターのソメイヨシノが満開になるころ、目前の土手や河川敷の菜の花も満開になる。いや、黄色いじゅうたんが広がったところへ、淡いピンクの幕が張られて好一対をなす――。ところが、今年は桜が先行した。菜の花は散発的に咲いているだけだ。どうしたのだろう。

日曜日(4月18日)にたまたま平に隣接する好間(よしま)を通った。道路沿いに菜の花畑があった=写真。道行く人に花を楽しんでもらおうということに違いない。満開だった。思わず山村暮鳥の詩を口ずさんでいた。言語実験詩集ともいうべき『聖三稜玻璃』(大正4年発行)の中にある「風景 純銀もざいく」だ。

〈いちめんのなのはな/いちめんのなのはな/いちめんのなのはな/いちめんのなのはな/……〉。作品としては9行3連、計27行の短い詩だ。が、各連最終行から2番目の行だけ違う言葉が入っているほかは、24行すべて〈いちめんのなのはな〉だ。一面の菜の花を文字で視覚的にとらえた革新的な作品と評される。

〈いちめんのなのはな〉の中でアクセントになっているのが、この違う1行。大地の〈かすかなるむぎぶえ〉。これは人間だろう。次が、空の〈ひばりのおしゃべり〉。鳥だ。終わりが、もっと高い空の〈やめるはひるのつき〉。天体。〈いちめんのなのはな〉だけで平面の広がりを感じるうえに、異質な3つの行によって作品世界が立体化される。

『聖三稜玻璃』は、暮鳥の平時代に編まれた。平で作品が書かれた、ということでもある。そのころ、菜の花は見せるものではなく、菜種油を取るために栽培された。平でも町をはずれると菜の花の広がる田園風景が見られたという。暮鳥の散歩コースでの印象が〈いちめんのなのはな〉になったのではないか、というのが研究者の推測だ。

『聖三稜玻璃』は95年前に出た詩集だ。が、決して古くない。今度〈いちめんのなのはな〉を詩集にあたって、今までとは違った立体的なイメージを得た。〈いちめんのなのはな〉が滋味豊かなものに感じられた。

2010年4月21日水曜日

ノルウェー産サケ


スーパーへ行くとノルウェー産の塩サケを売っている。すし屋ではノルウェー産の生サケが人気だという。

物の本によると、ノルウェーでは早くから天然サケの人工採卵・種苗放流を重ねて再生産技術を確立し、それが1970年代初めに海面に応用された。要は「いけす」(フィヨルド=写真)で養殖することが可能になったのだ。

15年ほど前の統計では、ノルウェーの漁船漁業の漁獲金額は約1,570億円。養殖生産額はこれに接近し、1999年にはついに漁業生産額を上回った。どちらにしてもノルウェーでは、水産業は重要な外貨獲得産業だ。

サケ養殖にはライセンスがいる、政府機関が検査体制を整えている、給餌もコンピュータで自動化されている、……。品質管理が徹底していると、水産業の専門書にある。

そのサケはどこへ行くのか。ノルウェーではサバ・サケ・カラフトシシャモなどを輸出している。単一国としては日本が最大のお客さんだという。

アイスランドの火山が爆発し、火山灰の影響で飛行機が飛べなくなった。とたんに、人と物の移動が滞った。日本では、その一つがノルウェー産生サケ(すしネタ)だという。そのニュースにあぜんとした。塩サケはスーパーへ行くから分かっていた。生サケはすし屋へ行かないから分からなかった。

地球の北から、南から、西から、東から、日本は食料をかき集める。「四里四方」の食文化からとうに離れて、「万里万方」になった。これではいつか外から、自然からしっぺ返しがこないともかぎらない――ノルウェー産生サケの話に少し気持ちが波立った。

2010年4月20日火曜日

集会所落成


JR磐越東線江田駅前の夏井川沿いにキャンプ場がある。その入り口、道路をはさんだ向かい側に「江田・牛小川集会所」=写真=が建設され、日曜日(4月18日)に落成祝賀会が開かれた。

夏井川渓谷の集落は、下流から江田、椚平、牛小川の三つ。行政区としては江田と牛小川に分かれる。何年か前、江田・牛小川地区合同で集会所を建設する話が持ち上がり、建設資金の積み立てが始まった。私は週末だけの半住民、摘み立ては免除された。先月の牛小川地区の総会で報告があり、集会所建設の具体的な経過を知った。

いわき市の補助があるとはいえ、地元負担もなかなかのものだ。利用戸数は計44戸。平成13(2001)年秋に積み立てが開始され、一時棚上げ・凍結としたあと再開、完成にこぎつけた。ただし借入金がある。これから7年弱をかけて返済するのだという。

積み立て開始から完成までほぼ9年、借金返済までさらに6年弱。集会所建設は集落にとっては一大事業だ。

その基をなすのは、戸数の少ない山里の、合同で集会所を必要とする住民と住民の、地区と地区との合意。そこへ至るまでにはそれぞれにジグザグがあり、合意したあともまたジグザグがあったことだろう。家・隣組・地区……。他者と共に暮らすにはこのジグザグの調整が欠かせない。

行楽客には新しい建物があそこにある――という印象しかないだろうが、内実は大変な時間と苦労が詰まっているのだ。

落成祝賀会では、椚平の住民でもある古扇亭唐変木率いるいわき芸能倶楽部の面々が、落語やパントマイムといった得意の芸を披露して座を盛り上げた。終わって一行が無量庵を訪ねたことは、きのう書いた。

2010年4月19日月曜日

珍客来る


アカヤシオ(岩ツツジ)の花は、散るどころか数を増やしていた。

「春日様」の祭礼が行われた一週間前、夏井川渓谷(いわき市小川町上小川字牛小川)は春を告げるアカヤシオの花で北向きの斜面が染まっていた。きのう日曜日(4月18日)は、もっと高い尾根までピンクの点々が見られた。晴れると強風が襲い、季節外れの雪に見舞われたものの、花はなんとかもって、行楽客の目を楽しませた。気温が低めだったのが理由だろう。

この2カ月余の天気を見るかぎり、タイミングがよかったというしかない。日曜日に青空が広がった。朝からアカヤシオの花を見に来る人も絶えなかった。

無量庵に着いたのは早朝。アカヤシオの花見客が来る前にやることはやってしまおう――アカヤシオの春と紅葉の秋には、なぜかそんな気持ちになる。ネギ苗やニラの追肥、生ごみ埋め、草引き。その程度だから、身を入れてやれば30分で終わる。終われば、家に入って本を読むか、カメラを首からさげて散歩する。昼寝も楽しみの一つだ。

昼寝をしているときに「いわき芸能倶楽部」のメンバーが現れた。旧知の古扇亭唐変木氏(落語)が仲間を連れて来たのだ。塩ビ管尺八の人、パントマイムの人、漫才の2人組(若い女性)=真。珍客だ。カミサンがお茶を出したら、塩ビ管氏が演奏を披露した。パントマイム氏も「壁」をやってくれた。

隣の集落(江田)で、牛小川も含めた集会所の落成式が行われた。古扇亭は、私のような「半住民」と違って「正住民」だ。その席で余興に落語や塩ビ管尺八の演奏を披露した。終わってわが無量庵を襲ったというわけだ。

いわき芸能倶楽部はあちこちに出かけて得意の芸を披露しているボランティア団体。今度は無量庵を舞台にしてやってもらおうか。

2010年4月18日日曜日

シュンランに会う


きのう(4月17日)の朝、いわき市小川町の山の方から電話がかかってきた。いわきの平地では雨だが、「こちらはみぞれです」。そのうち、テレビに字幕が出た。常磐道のいわき湯本―いわき中央IC間が雪のため通行止め、常磐道も同じく通行止め、とあった。曇雨天続きで気温が上がらない。そのうえ、雪。4月中旬だというのにおかしな天気だ。

前日、気分転換を兼ねて近くの石森山へ車を走らせた。いくつかある遊歩道のうち、アップダウンの少ない道を二、三巡った。お目当ては野草の花とエノキタケ。曇天。そして、冬のような寒さ。散策している人はしっかり防寒具をまとっている。手袋なしでは少々きつい。

最初に、モミジイチゴの花を見つけた。次いで、黄色い花を付けたネコノメソウ。別の遊歩道に移ると、シロバナノエンレイソウが列をなしていた。

帰路はもう一つ別の遊歩道を利用した。ウスヒラタケやエノキタケが発生する「キノコの木」がある。根元からやや上でぽっきり折れ、下の沢に残骸が転がっていた。自分の重量を支え切れなくなるほど腐朽が進んで、強風にちょいとつつかれたのだろう。キノコは遊歩道にちりばめられたチップから猛毒のニガクリタケが出ているだけだった。

さらに奥へ進む。シュンランが一輪咲いていた=写真。ユリワサビも白い十字花を付けていた。石森山でシュンランの花に出合うのは久しぶりだ。よくぞ咲いていてくれた、盗掘されずにいてくれた――なにやら胸の中に熾(おき)のようなものがともった。鉛色の空の下、春の野の花を観察して、少しはうっとうしい気分を忘れた。

2010年4月17日土曜日

靴底補修


新聞の生活欄にこんな見出しが躍っていた。「節約志向 自分で『お直し』/補修用品売り上げ堅調」。靴底補修グッズや畳表の傷隠しシール、じゅうたん用シール、急須のつるなどが売れているという。見出しには「素人でも意外に簡単」ともあった。自分で補修グッズを買い、靴底を直したばかりなので、興味を持って読んだ。

2年余り前、ウオーキング用にと専門店からしっかりした靴を買った。値段もよかった。歩き方が悪いのか、1年ほどたつとラグソール(凹凸のはっきりしたゴム底)が斜めにすり減ってきた。購入した店を介して修理してもらった。これもいい値段だった。

1年ほどたって、また同じ状態になった。あるとき、後ろを歩いて来たカミサンが足元を見つめて「みっともない」とまゆをしかめた。確かに、見てくれはよくない。右側の靴は右側が、左側の靴は左側がすり減っている。それも、極端に。凹凸もほとんどなくなっている。

修理に出すか捨てるか、思い悩んでいたとき、たまたまテレビにホームセンターのCMが流れた。自分で靴底を補修できる商品を紹介していた。捨てるのはしのびない。かといって、修理に出せば金がかかる。自分で直そう――。

ホームセンターへ出かけて特殊ポリウレタン系の補修剤を買ってきた。いろいろ制約がある。1回の補修の厚さは4ミリ程度。厚塗りすると硬化に時間がかかる。1回の補修で済まない場合は、硬化したあとに重ね塗りをする、ともあった。

1回、2回、3回……。時間をかけながら肉盛りを繰り返し、なんとか靴底が水平に見えるところまで補修した=写真。チューブ入りの補修剤がほとんどなくなっていたから、すり減った範囲は思ったより広く大きかったことが分かる。

重ね塗りをしたからムラがある。見た目は悪い。しかし、歩く分には支障がない。早速、履いて散歩へ出かけた。かかとが水平に保たれていることが感触で分かる。靴はしっかりしているので、すり減りが目立ち始めたら、また補修剤を買って肉盛りをすればいい。履いて履いて、履きつぶすのが靴にとってもいいことだ。

2010年4月16日金曜日

サクラは満開だが


旧小名浜測候所の敷地内に、おととしまで職員が開花を観測してきたソメイヨシノがある。無人化に伴い、地元に住む気象庁OBの協力を得て小名浜のまちづくり団体が観測を継続することにした。今年は4月10日にサクラの開花が確認された。いわきにもようやくサクラ前線が到着した。

こうなると、満開までは一気だ。散歩コースで目立つのは、市北部浄化センターのサクラ並木。夏井川の堤防に沿っておよそ60本のソメイヨシノが植わってある。遠目にも満開になった=写真

街への行き帰りに眺めるのは、やはり夏井川の堤防沿いにある平・塩のサクラ並木。こちらはしかし、だいぶてんぐ巣病にやられている。花を咲かせずに葉を広げるので、花一色のはなやぎはない。

春先からの天候不順が影響しているのだろう。2カ所とも花の色がぱっとしない。薄墨がかかったような印象を受ける。明るくないのだ。開花観測以後も天気がよろしくない。晴れたと思ったら強風が吹き荒れる。サクラの花の色同様、人間の心も晴れやかにはなれない。寒気と湿りを振り払う陽気が待ちどおしい。

それでも頑張って、夜桜の下でグイッ、というグループもあるのだろう。きのう(4月15日)の宵、いわき駅前再開発ビル「ラトブ」に行ったら、西側の窓の外、暗闇の奥にぼんぼりの明かりが見えた。サクラの名所・松ケ岡公園だ。〈きょうも繰り出しているのだろうか〉などと、うらやましさと同情の念を抱いた。

2010年4月15日木曜日

転がるごみ袋


きのう(4月14日)は、「リサイクルプラスチック」と「燃えないごみ」の収集日。わが家と隣家の境目、東西に伸びた道路沿いの電柱のそばに集積場がある。朝、用事があって街へ出かけるときにちらっと見たら、「リサイクルプラスチック」のごみ袋が何袋かあった。

天気は晴れ。冬型の気圧配置が強まり、時がたつにつれて北西の風が強くなった。帰宅したのは30分後の9時前。ごみ袋が歩道を転がり出していた。吹き飛ばされたものもあったかもしれない。

散らばったごみ袋4袋を集め、ひもで電柱にくくりつけた。風がますます強くなる。気になってごみ袋を見に行った。一つもない。周りを見ると、道路向かいの駐車場に一つ、隣家との境目に三つあった。しばり方がゆるかったのだろう。集めて再び電柱にしばり直した=真。

それからますます風が強まった。またしばらくして見に行ったら、一つもない。収集車が来たのだろうか。いや、分からない。回収していったのならいいが、風に吹き飛ばされた可能性もある。隣家の駐車場にごみ袋が二つあった。風上にある別の集積場から転がって来たのだろう。

風上から風下へ、そこからさらに風下へ――。ごみ袋が風に吹き飛ばされ、別のごみ袋が風上から吹き飛ばされて来る。雨風が強かった日のあと、夏井川をごみ袋が流れていくことがある。集積場のごみ袋が転がり出したり、流されたりしたのが、川を流れ、浅瀬に残る。きのうのような風がもたらす現象だったのか。

家の庭に細かいプラスチック容器類が散乱していた。落ち葉の吹き溜まりと同じで、強風が吹き荒れたあとには、必ずごみがたまっている。そのたびに片づける。風が相手では辛抱するしかない。

2010年4月14日水曜日

毒草


わが家の庭でクリスマスローズの花が咲いている=写真。クリスマスローズは冬咲きだが、これは春咲き。正確にはクリスマスローズの変種のオリエンタリスというやつで、日本では変種も含めてクリスマスローズと呼ばれているという。いろんな名前がついている。花が黄緑色をしているのは「ホワイトムーン」。庭にあるのはこれだろう。

植松黎著『毒草を食べてみた』(文春新書)に、クリスマスローズは「根にヘレブリンという心臓毒の一種や、ヒフや粘膜に炎症をおこすプロトアネモニンという毒成分がふくまれている」とある。

3歳の男の子が親と遊びに来ては、決まって庭で土いじりをするようになった。クリスマスローズの花を切って見せたら、自分も花をちぎろうとする。〈ヤバイ〉と思った。毒花だ。移植ベラで根を掘るようなまねをしないとも限らない。3歳児をクリスマスローズから遠ざけた。

『毒草を食べてみた』には、昭和60年代初頭、いわき市民が「ワサビ」と誤認してドクゼリを食べ、意識を失って救急車で運ばれた顛末が紹介されている。私も、このドクゼリをセリと勘違いして台所まで持ち込んだことがある。まな板にのせて根を縦に切ったとき、内部が竹のように節状になっているので、やっとドクゼリと気づいた。

庭にも、山野にも毒草はある。今までは山菜採りのときだけ注意をしていればよかったが、これからは幼児が庭で遊び回ることも念頭におかなければならない。こんな話を連発するようになったのは、孫に目が離せなくなったからだ。

2010年4月13日火曜日

春日様


夏井川渓谷の小集落・牛小川の鎮守は春日神社だ。アカヤシオ(岩ツツジ)の花が見ごろの日曜日に例祭を開く。4月11日にそれが行われた。各家から一人が出てお参りをし、直会(なおらい)をして正午には散会する、といった質素なイベントだ。

集落の戸数は無量庵を含めて9戸。「春日様」は4世帯ほどが寄り集まった裏山にある。杉林を縫う急な参道を、息を切らせながら進むこと数分。一間四方ほどの小社に着く。中に入り、賽銭を上げて拝礼をし、牛小川の一年の無事を祈願してお神酒をいただく。終わって参道を引き返し=写真、宿(やど)へ戻って直会に移る。

直会は集落で唯一の旅館で行われた。去年までは持ち回りで、それぞれの家(宿)で行われていたが、今年から変わった。宿に関しては、私は週末だけの半住民のために免除されている。少しずつ形を変えて伝統が引き継がれる、そういう節目の年になった。

この「春日様」の寄り合いと、3月末の区の総会後の飲み会は学びの場だ。ふだんは住民と会って話すことが少ない。アルコールが入ることもあって、みんな口がなめらかになる。今回は地上アナログ放送があと1年ちょっとで終了することが話題になった。

液晶テレビに買い替えた家、チューナーを取り付けた家、これからテレビを買い替える予定の家と、いろいろだ。無量庵にはテレビはない。自宅でさんざん見ているから、週末くらいはラジオで十分と思っている。それで、みんなの話を気軽に聞いていたのだが……。液晶テレビの意外なもろさにがくぜんとした。

47インチテレビといえば大型だろう。集落外のある家で、買ってそうたたないうちに、ドラえもんのアニメを見ていた幼児がテレビに近づき、持っていた鉛筆で画面をつついたら、テレビが駄目になったという。

わが家の2番目の孫(10カ月)がよちよち歩きを始め、テレビの画面をさわり始めた。そのうちバンバンやり始めるのは目に見えている。保護カバーがついていないから、何かでつついた瞬間にテレビが駄目になる――なんてこともあり得る。直会では、幼児と液晶テレビの緊張関係を学んだ。

2010年4月12日月曜日

サクラ? いえ


夏井川渓谷(いわき市小川町)のアカヤシオ(通称・岩ツツジ)が一気に開花した。きのう(4月11日)早朝、無量庵へ着くと、対岸がピンクの花で点描されていた。満開の始まり、といったところだろうか。

一週間前には数カ所にピンク色の花が見えるだけだった。対岸へ渡り、花の下に入ると、おおかたのつぼみが赤く膨らんでいた。私が夏井川渓谷へ出かけるのは週末、一週間後には一気に咲くだろう、と想像した通りになった。実際は日ごとに花の数を増やしたのだろうが。

わが無量庵の隣の私有地が行楽客に開放されている。古い家があり、杉林があった。それを解体・伐採し、春はアカヤシオ、秋は紅葉の展望台とした。渓谷沿いの県道をやって来たマイカー族は、ここで豁然と風景が開けるのに驚く。しかも、春は全山ピンクの点描画になる。ますます車を止めて風景に見入りたくなる=写真

土地の持ち主は春と秋、常置のハウスで物品を販売する。行楽客の反応が面白い。いや、それが現実かとも思う。アカヤシオの花を見て「サクラですか」と尋ねるのだという。サクラでも渓谷にあるのはヤマザクラだ。それさえもソメイヨシノと混同しているのかもしれないのだが。

こちらは毎年見ているから間違うことはない。そう思っているが、アカヤシオを全く知らない人、アカヤシオの名前は聞いても見たことのない人が多いのだろう。20代のころの私がそうだった。アカヤシオも、ヤマザクラも区別がつかなかった。

よほど意識しないと、記憶としても、知識としても定着しない。リピーターとして通っているうちに、そして15年前から週末を過ごすようになって、やっとアカヤシオが、秋の紅葉が体の中に入ってきた。自分の常識が人の常識ではないのをあらためて知るのだった。

2010年4月11日日曜日

火遊び


北海道で乳幼児4人がワゴン車内で焼死した事故には胸が痛んだ。焼けた車内から100円ライターの残骸が見つかったという。

小学校に上がる前、仏壇のマッチ箱をもち出して、遊び仲間3~4人で火遊びをしたことがある。田んぼのあぜに穴を掘り、枯れ草を集めて火を着けたら煙が上がった。ちょうどそこへ近所の大人が通りがかり、「何してんだ、コラッ!」、怒鳴られて慌てて逃げた。大人は、どこのだれかは先刻承知。家に帰ると、さっそく大目玉を食らった。

3歳ぐらいになると、大人のすることはたいていしたくなる。ボッと火が着くマッチは最も興味深いものの一つ。家に遊びに来る孫(3歳)も、床の間にある線香立て=写真=に大人のまねをして線香を上げようとする。

北海道の火事までは線香を上げてお鈴をチーンとやり、「ナーム」と手を合わせるのが面白くて、請われると線香に火を着けてやった。が、火事以後はマッチ箱を孫の目に触れないところにしまった。大人のまねをしてマッチ棒を取り出し、火を着けてくれるよう催促したことがあるからだ。危ない、危ない。次は自分で火を着けようとするに違いない。

幼児は大人の常識を越えたところで行動する。危険な芽はできるだけ摘んでおかないといけない。たばこを吸わなくなったから、家にライターはない。といっても、ガスコンロ、石油ストーブがある。外での急な飛び出し、踏切や浴槽も事故の場所になりかねない。時折、3歳児の目になって周囲をチェックしてみることが必要だ。

2010年4月10日土曜日

サクラ咲く


散歩コースの圏内に大円寺というお寺がある。夏井川の対岸、小高い丘にある旧浄土宗名越派総本山專称寺の末寺で、元亀3(1572)年に良真上人が開山した。30年余前火災に遭い、その後本堂が再建された。

本堂の前に、地蔵さんと、戊辰戦争当時、笠間藩神谷陣屋の責任者だった武藤甚佐衛門をたたえる顕彰碑がある。その後ろに控えるサクラの木が花盛りだ=写真

ふだんは遠目に墓地を眺めるだけで通り過ぎる。いつものようにちらっと見ると、ピンクの花が目に入った。寄り道して確かめたら、サクラの花が満開だった。

墓地の入り口にあるソメイヨシノはまだつぼみ。ソメイヨシノより開花が早いのはヒガンザクラかカワヅザクラくらいだ。花はソメイヨシノより小さく、赤みが強い。葉は開いていない。ヒガンザクラだろう。

天候不順でソメイヨシノの開花が遅れている。いわき市では無人化された小名浜測候所に代わって、去年から小名浜の市民団体が測候所OBの協力を得て、サクラ開花を発表するようになった。ところが、きのう(4月9日)、いわき市ではなく福島市でソメイヨシノの開花が発表された。東北最南端、いわき市よりも早く、だ。

別にそれでがっかりする、なんてことではないが、なにか変な感じがした。測候所が無人化になったせいではむろんない。福島市よりいわき市の気象が、今年はソメイヨシノにはきつかった、ということだろう。

2010年4月9日金曜日

天候不順


天気は周期的に変わる。しかし、今年は2月以降、変わりすぎの感がある。いわき市の気候は、東日本型のうち「東海・関東型」に入る。このタイプは「6月と9~10月ごろに降水量が多く、冬は晴れて晴天が続く」と定義される。つまり、夏は温暖多雨、冬は冷涼乾燥になるのが特徴だ。

この冬は「冷涼乾燥」のうち「乾燥」がさっぱりだった。晴れたと思ったらすぐ天気が崩れ、曇りから雨ないし雪になる。晴れた日が何日も続くということがなかった。コインランドリーは売り上げを伸ばしたことだろう。

春野菜にも天候不順の影響が現れている。新タマネギや大根、ジャガイモなどが品不足から値上がりしたと、マスコミが伝えている。

夏井川渓谷の、わが無量庵の畑には採種用の三春ネギが植わってある。浅く斜めに植えて「曲がりネギ」にしてあるとはいえ、日照不足と多雨雪で「根腐れ」を起こさないか気になりだした。まさかそこまではいかないだろうが、冬に根腐れを心配するのは初めてだ。

露地のネギ苗も寒気にさらされて縮こまっていた。先月、追肥をしたら少し元気を取り戻した。きのう(4月8日)、ホームセンターへ行ったら、早くもネギ苗を売っていた。いわきの平地ではネギ苗を定植する時期に入ったのだろう。夏井川渓谷の牛小川では、ネギ苗の定植は5月に入ってから。それまでに太い苗を育てなければならない。

ネギを除けば、今年は小カブの種まきから畑仕事が始まった。小カブはようやく発芽した=写真。次は大根でもまこうかと思案しているところだ。

2010年4月8日木曜日

はてなちゃん


「はてなちゃん」だという。わが家で飼っている猫ではない。わが家の外にいるノラの子猫だ。人間を見上げるとき、首が左に90度傾く=写真。そのしぐさが「はてな」のポーズに似ているので、カミサンが名付けた。ほかの子猫と少々違っている。ずんぐりむっくりタイプで、足が太短い。置物のようだ。

飼い猫でないとはいえ、カミサンがえさをやっている。時間になると、猫が姿を現す。が、私はこれ以上猫に囲まれたくない。姿を見ると一喝する。一喝しながらも、〈おや、面白い体形だな〉と、この「はてなちゃん」には口元が緩む。

私が夏井川渓谷の無量庵に泊まって家を留守にした日、「はてなちゃん」の命運が尽きたらしい。道路の向かい側で死んでいるのをカミサンが見つけた。「はてなちゃん」の遺骸は無量庵の庭に埋めた。

無量庵の庭には犬の「リョウマ」をはじめ、何匹かの猫が眠っている。「リョウマ」は一時期、無量庵で一夜を共にする“パートナー”だった。わが家ではいつもロープにつながれていたが、夏井川渓谷では自由の身になる。森の中でみるみる野性を取り戻した。が、既に年がいっていた。やがて老衰の身となって、わが家で息を引き取った。

「はてなちゃん」の墓の上には大きめの石を置いた。そこにカミサンがあとからスイセンの花をたむけた。

なぜこういう話を書く気になったか、というと、埼玉県の動物葬祭業者が犬猫の火葬代金を受け取りながら不法投棄をしていたのが発覚し、捕まったからだ。きちんとペットを弔いたいという飼い主の気持ちを裏切る行為は許されるものではない。飼い猫でも、ノラ猫でも、その死には尊厳をもって対したい。猫好きでなくともそう思う。

2010年4月7日水曜日

「川前屋」再開


いわき市川前町の夏井川渓谷に「山の食。川前屋」がある。川前産の野菜や加工食品を売っている。冬場は休業する。日曜日、川前の商店に用事があって出かけた。途中、「川前屋」を見たらオープンしていた。帰りに寄って、いろいろ買い込んだ。土曜日(4月3日)に営業を再開したのだという。

ちょうど漬物が切れかかっていた。たまり漬けと梅干しのほかに、ふきみそやネギ、ジャガイモ、ニンニク、フキノトウを手に入れた=写真。切り干し大根も求めた。これはかなり細い。そういうものを欲しがる人が増えてきたのだろうか。

いつのころからか、食品の容量や甘辛度が気になるようになった。年代によって求める量、甘さ、辛さ、しょっぱさなどは違うだろう。今は夫婦2人だけだから、量は多くなくていい。激辛でなくてもいい。そう感じるようになったのは、むろん年のせいもある。

20代の胃袋はしょっちゅう、昼にかつ丼を欲していた。今は、どうか。朝は野菜の漬物に日替わりで納豆、卵焼き、塩サケ、ときどき夜は肉、といった程度にすぎない。

陳列台のわきに、いわき地区商工会広域連携協議会が作成した冊子が置いてあった。無料配布で、3月に発行されたばかりだという。『いわき ふるさと讃品』とタイトルにある。もらってくる。

地区別に産品が掲載されている。「川前屋」も紹介されている。食べたものも、ないものもある。

舌が未経験なものをあげれば、「沖なまっこ」(久之浜・大久)。ボイルしたなまこを調味料で味付けしたもので、解凍後、そのまま食べるのだという。値段は1,000円。「なみちゃん大福」(三和)=1個100円=もそうだ。これはたぶん、平の某朝市で人気の逸品に違いない。

「川前屋」は土・日・祝日開催。たまり漬けは、3日でなくなった。1週間に二つは必要だ。今度の日曜日は、牛小川のアカヤシオが見ごろになる。そのとき足を伸ばして容量の多い漬物を買うとしよう。

2010年4月6日火曜日

「うえいぶ」43号


いわきの総合文化雑誌「うえいぶ」43号が3月下旬、発行された=写真。きょう(4月6日)はこの雑誌の発行に尽力した故里見庫男さんの命日。里見さんの後を継いだ「うえいぶの会」代表の安濃廣美さんらと4人できのう、里見家を訪ね、仏前に43号を献じた。併せて、里見さんが初代代表幹事を務めたいわき地域学會の会報「潮流」第37報を供えた。

友人・知人を招いての一周忌は3月22日に行われた。寺での法要のあと、古滝屋で行われた会食はにぎやかなものになった。里見さんが人寄せをすると、最後は「青春時代」や「青い山脈」の大合唱になる。今回も私が帰るころには会場から「青春時代」の音楽が聞こえてきた。

里見さんが浄土の人となってからのこの1年は、よく言えば静かな1年、悪く言えば物足りない1年だった。新しい人と言葉を交わす機会がめっきり減った。里見さんが“一人幹事”となって催してきた定期的な飲み会が中断したためだ。新しい風が吹けば、刺激にもなる、考えを深めるきっかけにもなる。そういう出会いの場が減った。

里見さんの奥さんといろいろ話した。里見さんは「菜の花が好きだった」。仏前にその菜の花が飾られてあった。菜の花好きは山村暮鳥の「いちめんのなのはな/いちめんのなのはな/いちめんのなのはな/……」に由来することが分かった。

野口雨情といい、暮鳥といい、里見さんは彼らがいわきに住んだ縁を大事にして資料を集め、研究し、かたちに残した。野口雨情記念湯本温泉童謡館はその最たるものだろう。里見さんの「ふるさと愛」は、こうした文学とのつながりのなかで最も輝いていた、と今さらながらに思う。

2010年4月5日月曜日

アカヤシオ開花


日曜日(4月4日)早朝、起きるとすぐ夏井川渓谷の無量庵へ出かけた。着いたのは7時過ぎ。籠場の滝で車を止め、アカヤシオ(岩ツツジ)の花をチェックした。咲いていた。夏井川渓谷にやっと春が来た。

が、晴れて風はないものの、寒気が下りていた。平を出るとき、車のフロントガラスが霜に覆われていた。無量庵に着くと、雨だれを受ける濡れ縁のバケツの表面に薄氷が張っていた。畑にも霜柱が立っていた。

畑の草引きは太陽が霜柱を溶かしてから、と決めた。晴れの予報は、しかし渓谷では当たらなかった。次々に雲がやって来る。それでも、正午前には霜柱が消えた。バケツの薄氷が消えるころ、畑の草引きをした。

畑仕事はそれで終わり。あとは、無量庵の対岸のアカヤシオと“対話”する。肉眼で花を探す。クリーム色っぽい花はアセビ、茶色がかった黄色い花はヤシャブシ。マンサクは黄色。アブラチャンも黄色。屹立する天然の屏風に、ピンクの点々が見える。アカヤシオの花だ。

対岸に渡ってアカヤシオの花を確かめる。咲いている花は一部だった。あとは、今にも開花しそうに膨らんだつぼみばかり=写真。マイカーでやって来た花見客も、これでは対岸の花を見つけられないだろう。現に、チラホラやって来てはそそくさと帰って行く。渓流釣りの人間も現れたが、アカヤシオのピンクの花に目をやる余裕があったかどうか。

今年のアカヤシオは開花が遅いような、遅くないような。暖冬のあとは、春分の日にはもう開花している――そんな年もあるが、今年は厳冬だった。しかし、つぼみの状態を見れば、ちょっと気温が上がれば一気に開花する。そんな予感がする。今度の週末(4月10、11日)は全山開花の見ごろを迎えているに違いない。

2010年4月4日日曜日

ペデストリアンデッキ


ペデストリアンデッキ(かさ上げ広場)=写真=を含むいわき駅の南口駅前広場が、3月下旬に完成した。

道路をはさんで向かい合ういわき駅前再開発ビル「ラトブ」の2階部分といわき駅とは、「ラトブ」がオープンした平成19(2007)年10月25日、ペデストリアンデッキの一部が整備されてつながってはいた。いわき駅の橋上化に伴う南北自由通路の一部も、オープンと同時に供用が開始された。

それからざっと2年半を費やして南口駅前広場ができた。いわき駅周辺再生拠点整備事業の一環で、次は北口交通広場と周辺道路の整備に移る。

駅前広場ができて、バスターミナルも、タクシー乗り場(2カ所)もそこに集約された。広場の供用開始以来、駅前大通りからはバスの姿が消えた。道路に止まっているバスがなくなると、なんとなく寂しい風景になった。人の姿が減ってがらんとしている。一時的にしろそんな感覚になるとは思わなかった。

それはさておき、ほぼ1週間前、「ラトブ」にあるいわき総合図書館へ行ったついでに、ペデストリアンデッキを“試し歩き”した。きのう(4月3日)は3歳の孫をダシにしてつぶさに歩いた。

ちょうど駅に「スーパーひたち」が止まっていた。孫が大好きな電車だ。エスカレーターに乗り、エレベーターを使い、階段を利用して、上がったり下りたりしながら「スーパーひたち」を見た。おかげで、どこに何があるかがよく分かった。

その帰り、孫が「マックに行く」と言ってきかなかった。駅前にある。入店したことはない。で、最初はピンとこなかった。目線を追ってマクドナルドのことだと分かった。〈3歳にしてマックとは〉とため息をつきそうになった。カミサンは大甘になって連れて行った。私は入店せずに外で待った。孫にはペデストリアンデッキが効果を発揮したらしい。

2010年4月3日土曜日

山里を行く車


週末ではなく、平日に夏井川渓谷(いわき市小川町)の無量庵へ出かける回数が増えた。用事があって日曜日も街にとどまっている――そんなケースが多くなってきたのだ。平日だから世の中は動いている。みんな仕事をしている。山里でもそれを実感することがある。

そんな平日に、朝食後、平の自宅から無量庵へ車を走らせた。夏井川渓谷に入ってしばらく行くと、県道前方にいわき市の移動図書館車「いわき号」の姿が目に入った。江田駅手前の踏切で追いついた=真。ひっそりとした山里を色鮮やかな車が行く――それだけでとても新鮮に感じられた。

「いわき号」は月に一回、夏井川渓谷を通り越して川前地区に入り、3小・中学校と2保育所を巡回する。週末だけの無量庵通いでは見えない市立図書館の地域サービス業務、公共の仕事の一端だ。

山里を行く車は――。日曜日は、ほとんどがマイカーだ。これが、平日になると道路パトロールカー、トラックなどが主力になる。とはいっても、ひんぱんに行き来しているわけではない。思い出したように通る程度にすぎない。その過程で移動図書館車に出合った。

それはさておき、無量庵へ行くたびに出合う車がある。クロネコヤマトの車と郵便車だ。この車を走らせている会社は地域の隅々にまで配達ネットワークを張り巡らせている。日中は鳥語だけが響く小集落から眺めれば、家があっちにぽつん、こっちにぽつんの山里だ。配達効率はすこぶる悪い。

官営だった会社の方はともかく、新規参入をした方については、いつもよくやってるなという思いを抱く。

2010年4月2日金曜日

自然という書物


デンマークの「人魚姫像」が、万博の開かれる中国・上海へ旅立つテレビニュースを見て、いよいよ行くかという感慨を抱いた。

1年前の3月、コペンハーゲン市議会が賛成多数で「海外への初めての旅」を決めた。その年の秋、たまたま北欧を旅行した。「人魚姫像」が万博でのデンマーク館の目玉になる話を聞いた。デンマークの世論は二分されているのを知った。それについてとやかく言う資格はない。単なる旅行者として旅をし、あれを見、これを見ただけだ。

帰国後、アンデルセンの童話を読み返している。最初読んだのは、宮沢賢治にのめりこんだあとの20代前半。独身時代のことだ。ざっと35年の空白はある。

幼少年期には本と無縁な人間だった。そのころに賢治やアンデルセンの作品を読んでいたら、もっと受け止め方が違っていただろう。少年でなかったからこそ、「残酷性をたたえたリアルなメルヘン」という受け止め方ができた。

『アンデルセン自伝――わが生涯の物語』(岩波文庫)をちょうど読み終わるころ、「人魚姫像」の旅立ちのニュースを知った。

『自伝』の中で一番印象に残った文章がある。その前に、「わが生涯の物語」を書いた家を紹介したい。コペンハーゲンのニューハウンにある家並み、ワイン色の建物の、窓の下にプレートのあるところがそれだ=写真。そこにアンデルセンは住んでいた、というので、写真を撮った。

で、『自伝』の文章だ。上流家庭に出入りするようになって、夏は彼らの別荘の客になった――。「私は一人きりで思うぞんぶん田園生活に、自然に、森の静寂に身をゆだねることができた。私ははじめてデンマークの自然にしたしんだ。こういう環境で私の童話の大部分が生れたのである」

アンデルセンは『自伝』でこうも言っている。スウェーデン旅行から帰ったあと、彼は熱心に歴史の勉強をし始める、外国文学にも親しむ。「しかしながら、最も心を引きつけ深い印象を与える本は、自然という書物である」

「自然という書物」を読む――という考え方がすばらしい。それは、たとえばデカルトが言った「世界という書物、現実という書物」とイコールだろう。アンデルセン童話の魅力の「根源」を知って、さすがだと思った。

2010年4月1日木曜日

春の食べ物


4月の声を聞くと、体がムズムズしてくる。山菜のあれこれが頭のスクリーンに点滅するのだ。それに先立つ早春の土の味はフキノトウ、カンゾウ、そしてノビル=写真=など。フキノトウは正月から食べている。

ノビルは鱗茎を生みそか酢みそあえ、葉は刻んで汁の実に。カンゾウはてんぷらかおひたし。フキノトウはみじんにして汁の実にしたり、てんぷらにしたりする。これからはヨモギ、ワラビ、コゴミ(クサソテツ)、タラの芽など。

タンポポもいい。散歩コースの土手にニホンタンポポの花が咲き始めた。花の下の緑の総苞片が反り返っていないので、それと分かる。花はゆがいて酢の物、葉はてんぷら、根はきんぴらに――そんなことを頭に描きながら通り過ぎる。ニホンタンポポに関しては、しかしシミュレーションをするだけだ。食材としては侵略的なセイヨウタンポポにとどめる。

山菜はたいがい酒のつまみ。これでご飯を食べようとはなかなかならない。ご飯のおかずはやはり、漬物だ。

東北地方、いや北関東地方と変わらないいわきでは、3~4月は白菜漬けが難しい。わが家は夫婦2人。冬に何回か白菜漬けをつくる。3月に入ると、この漬物がすぐ傷むようになる。で、今は手に入る大根、キャベツなどを使った浅漬けでしのいでいる。前にも書いたが、春は冬の白菜・大根漬けが切れて、やがて糠漬けに切り替わる漬物の端境期。

きのう(3月31日)、知り合いからトウの立ち始めた白菜その他をいただいた。ときどき行く「元気菜野菜市場」がある。知り合いもそこへ行く。その店の運営者からもらったのだという。きのう限りで店じまいをするという話だった。

この冬、何回か「元気菜野菜市場」へ野菜を買いに行った。それで2回ほどは白菜も漬けた。5月になれば、糠漬けの食材が手に入る――と思っていたのだが、入手ルートの一つがなくなった。これも年度替わりに合わせた区切りの一つなのだろう。

いずれにしても、4月の食卓は山菜を加えた青物が多くなる。漬物も簡単な浅漬け、切り漬けになる。いただいた白菜の葉を数枚はぎ、あり合わせの大根、ニンジンと一緒に切り漬けにした。砂糖をぱらっとやって甘みを加えてみた。一夜明けてつまんだら、まあまあの軟らかさだった。砂糖も隠し味程度にはなったか。