2010年4月8日木曜日

はてなちゃん


「はてなちゃん」だという。わが家で飼っている猫ではない。わが家の外にいるノラの子猫だ。人間を見上げるとき、首が左に90度傾く=写真。そのしぐさが「はてな」のポーズに似ているので、カミサンが名付けた。ほかの子猫と少々違っている。ずんぐりむっくりタイプで、足が太短い。置物のようだ。

飼い猫でないとはいえ、カミサンがえさをやっている。時間になると、猫が姿を現す。が、私はこれ以上猫に囲まれたくない。姿を見ると一喝する。一喝しながらも、〈おや、面白い体形だな〉と、この「はてなちゃん」には口元が緩む。

私が夏井川渓谷の無量庵に泊まって家を留守にした日、「はてなちゃん」の命運が尽きたらしい。道路の向かい側で死んでいるのをカミサンが見つけた。「はてなちゃん」の遺骸は無量庵の庭に埋めた。

無量庵の庭には犬の「リョウマ」をはじめ、何匹かの猫が眠っている。「リョウマ」は一時期、無量庵で一夜を共にする“パートナー”だった。わが家ではいつもロープにつながれていたが、夏井川渓谷では自由の身になる。森の中でみるみる野性を取り戻した。が、既に年がいっていた。やがて老衰の身となって、わが家で息を引き取った。

「はてなちゃん」の墓の上には大きめの石を置いた。そこにカミサンがあとからスイセンの花をたむけた。

なぜこういう話を書く気になったか、というと、埼玉県の動物葬祭業者が犬猫の火葬代金を受け取りながら不法投棄をしていたのが発覚し、捕まったからだ。きちんとペットを弔いたいという飼い主の気持ちを裏切る行為は許されるものではない。飼い猫でも、ノラ猫でも、その死には尊厳をもって対したい。猫好きでなくともそう思う。

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

はてなちゃんの姿、今見るとすごく切ないですね。

私の実家では、私が小学校から二十歳をこすまで猫を飼っていましたが、冬を越すことが出来ない子猫がすごく多かったです。(家を新築した時、妊娠した野良が居着いて結局、家猫になったのですが)

この写真を見ると、亡くなった彼ら彼女らの姿が思い出されて涙が出てきます。