2010年5月8日土曜日

「遊びに生きる」とき


島泰三著『孫の力――誰もしたことのない観察の記録』(中公新書)は、サル学者である祖父による孫娘の成長記録だ。本人の記憶のない時代(乳幼児期)にどのようにして心はつくられるのか――いつからか強い興味を抱くようになった著者が、孫娘の誕生とともにサルの観察手法を生かしてヒトの観察を始める。その6年間の記録が基になっている。

中で紹介されている詳細な言動、会話にわが孫の行動を重ね合わせ、ときにうなずいたいり、苦笑したりしながら本を読み進めている。「ひとつの遊びから次の遊びへ、孫娘の遊びは切れ目なく続き、彼女は遊びの中で生きている」。だから「『片づけなさい』と言われるのは、大きなショック、『とてもいやな気持ちになる』」。わが孫も同じだ。

大型連休も手伝って三日連続、孫のお守りをする羽目になった。午後、父親が孫をあずけにやって来る。こちらは仕事を中断して遊びの相手をすることになる。

庭に出て石をひっくり返し、ダンゴムシを探す。卵焼きを催促し、祖父母のどちらかと一緒に卵を割る。遊園地で滑り台=写真=やブランコにのる。田んぼのあぜ道でタンポポの白い綿毛をフーッとやる。まさに遊びに生きている。

それこそ次から次へと興味が移り、かたときもじっとしていない。しかも、走り続けだ。重力とは無関係の軽やかさ。そうか、と思ったものだ。赤ん坊は透明な翼をつけて生まれてくる。走り回れるのはこの天使の翼が残っているからだ、と。

いつの間にかこの天使の翼がなくなって、ヒトは自分の足でとぼとぼと歩かなければならなくなる。そうして歩き続けてきた。孫の軽やかさについていけない祖父母は、自分にも幼児期に天使の翼がついていたに違いないと思うのだが、記憶がない。

『孫の力』は自分の幼年期の記憶を代償する記録だ。孫を観察しながら、自分の幼年期に旅をしているのだ。「かつて孫だったすべての人へ」と帯にあるのはそのためだろう。

島さんはこうも書く。日本人の平均寿命が伸びて、祖父母が孫を見つめる時間が長くなった。逆に言えば「孫に記憶を残す年月は長くなった。祖父母の行動様式に、孫のために活動するという新たな領域が加わってもおかしくない」。かっこいいジイジ・バアバを目指せ――それも新しいセカンドライフの生き方には違いない。

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