2010年5月14日金曜日

寒風吹く


野口雨情の童謡に「葱坊主」という作品がある。

びユーびユー 風が
山から
吹いた

昨日も 今日も
畑に
吹いた

畑の中の
葱坊主
寒いな

ネギ坊主が形成されるのは春。無量庵(夏井川渓谷)の畑にある三春ネギも、今、花茎がぐんぐん伸び、太く硬く大きくなってつぼみが膨らんできた。とはいえ、まだ薄膜をかぶっていて花をつけるところまではいっていない。次にいのちをつなぐためにはまっすぐに立って花をつけ、虫を誘わなくてはならないのだ。

最初、雨情の「葱坊主」を読んだとき、おやっと思った。ネギ坊主ができるころにはもう初夏だ、風がびゅうびゅう吹いても寒いなんてことはないだろう――。

きのう(5月13日)朝、無量庵へ出かけた。風が吹き始めていた。畑でコカブの間引きをしようとしたら、びゅうびゅう吹きつけてくる。寒くてじっとしていられない。あわてて冬の上着を引っ張り出した。庭木が強風にもまれ、枝がしなっていた=写真。西高東低の冬型の気圧配置になり、上空に流れ込んだ寒気が「天空の川」となって襲ってきたのだ。

雨情は「葱と云ふものは野菜の一つで、春になると花が咲きます。それが即ち葱坊主で、また葱の種子でもあります。などと云ってしまったのでは一も二もありません」と先制パンチをくらわせる。科学的な目がかえって情緒を損なわせるということだろう。自家採種の欲だけで雨情の「葱坊主」を読み、最終行の「寒いな」が解せなかった。

続けて、雨情はこういう。「これに反して、かうした一篇の童謡となったものを児童に与へる時、児童は葱坊主と一所になって、山からびユー びユーと吹いて来る寒い風を身に感じそして葱坊主の悲しみを共に悲しむことが出来ます」。童心に添って作品を味わえということだが、よけいな知識を持った大人は、それが実践できない。

5月に葱坊主のそばで畑仕事をして寒風に吹かれた、寒かった――。雨情の「葱坊主」がそれで真実だと実感した。作品世界をまるごと受け止める童心ではなく、分析しすぎて童心からはるかに遠く離れていた。乾いた童心に水をやらねばいけないか。

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