2010年6月26日土曜日

弥生山


いわきにある大学の教授から、春に連絡が入った。「市民開放授業」の一つとして〈いわき学〉をやっている。前にパネル討論のような形で、「広域都市いわきを知る手だてとして、夏井川、藤原川、鮫川といった流域ごとに見るのがいい」としゃべったことがある。今度は「文化」に関して何か話を、ということだった。

大正から昭和初期の詩的高揚期を中心に、戦国時代から続くいわきの「短詩形文学」の歴史についてなら、なんとかしゃべることができるかもしれない。それでいいなら、というとOKになった。

連歌の猪苗代兼栽(戦国時代)、俳諧の内藤風虎・露沾(江戸時代)、和歌の天田愚庵(明治時代)・俳句の大須賀乙字(明治~大正時代)、詩の山村暮鳥(大正時代)・草野心平(大正~昭和時代)・草野比佐男(昭和時代)にしぼって、文献中心の話をした。

学生は「根なし草」だから、自分が今、行き来している領域、学んでいる場所についての歴史にはまるで興味がない。私の20歳前後の経験からして当然だが、「いわき学」という授業が組まれている以上は、彼らが現に学んでいる場所については記憶に残るような話をしたい。文学とは無縁の経済学部の若者であればなおさらだ。

彼らが学ぶ大学はいわき駅の東方、夏井川が平市街の北側を東進して急激に左折する、その丘の上にある。鎌田山という=写真。縄文時代前期の貝塚が“向かい山”の弘源寺で発見されている。

鎌田山は江戸時代、桜の名所だった。露沾の句に、それを表すように「弥生山」として登場する。そのころは地続きだった弘源寺を、露沾は「桜寺」とも詠んでいる。

「弥生山」は国道6号を通すために二回、切り割られた。もとはひとつながりの丘だったのが、近代になって分断された。そんなことも含めて「場所の文学」を語った。

「根なし草」の学生は、授業中も「根なし草」の本領を発揮する。2、3人が途中から入ったり、出たり、最初から突っ伏したり。多くはむろん、こちらに顔を向けていたが。それでも、あなたたちが学んでいるこの建物の下にも歴史がある――ということを分かってくれたかどうか、自信がなくなった。

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

弥生山とは素敵な名称ですね!
今からでも桜の苗木を植え目で見てわかる景観を再現したいものですね!
それにしても、若者たちは時間が余っているせいか今を大切にしませんね。
もったいない・・・