2010年6月29日火曜日

夢の追求


必要があって、昭和30年前後の草野心平の文献を調べている。『草野心平日記』はいうならば、合わせ鏡。日記に記述のないものも、記述に合わないものもある。欠けているところもある。当然だ。

心平は心平、相手は相手。照らし合わせれば微妙な違いが浮き彫りになる。しかし、ここではそんな細かいことを言いたいのではない。チェックした文献二つ=写真=に共通するものを感じた。一つは「蕭々無縫」、もう一つはいわき民報。「夢を見続けること」の大切さを語っている。夢とは創意工夫、つまり「考え続けること」でもある。

草野心平の川内村来訪のきっかけをつくった長福寺・矢内俊晃住職は、心平来訪の記録を残すために、ガリ版刷りの「蕭々無縫」という冊子をつくる。そのなかに、村の中学校で講演した要約が載っている(昭和29年)。翌30年の「蕭々無縫」には、NHKのラジオで川内訪問のいきさつを語った話のポイントを書き記す。

いわき民報は昭和27年12月、紙齢2,000号を記念する文芸講演会を開く。講師は草野心平。演題は「文化というもの」。2日間にわたって講演要旨が掲載された。

いわき民報――。卑近な例でいえば、ぬかにナスを漬けたいとする。そこで、うまく食べたい、そして、色もにおいもよく、うまく食べるにはどうすればよいかと考える……といったことを話しながら、夢は文化の原動力、文化は持続的な夢の発展によって創造される、としめくくる。

このとき、心平は49歳。心平の考える「文化」の原点にはぬか漬けがあった、といおうか。

中学校の講演――。少年時代に見た夢を一生涯持ち続けることは非常に難しいが、その難しさをどうか続けてほしい。NHKラジオ――。夢の追求の集積が現在のわれわれの目の前にあるものであり、新しいものへの展開も夢の追求なくしてはあり得ない。

50歳前後の心平は、夢の追求(心平本人は「追及」と書く)ということを頭においていたらしい。

その夢は生活と結びついたもの。文化は生活様式そのもの、生活術そのものだ。生活とつながっていない、いや、生活意識と切れた狭義の文化はきれいだが上澄みにすぎない、という自覚はもっていい。大事なのは、今日のぬか漬けをどううまくつくるか、だ。

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