2010年8月5日木曜日

この本、どうです


リタイアしてからはめったに本を買わない。買うカネがない。これが一番。読まずに積んでおいた本がある。それを読めばいい、というのもある。とはいえ、ふだんはいわきゆかりの文学者の文献調べをしている。いわき総合図書館から資料を借りてきてチェックする。それだけで日が暮れる。読書を楽しむヒマなどないに等しい。

現役のころは複数の雑誌を購読していた。平市街にある書店から、従業員がバイクで定期的に持って来る。書店の店頭になさそうな、マイナーな本はそのときに注文する。すると、こちらの興味を引きそうな新刊書も時折、携えるようになった。パラパラやって面白そうなら買い、食指が動かなければ持ち帰ってもらう。

先日も、「この本、どうです」とバイク氏がやって来た。見ると、入沢康夫著『「ヒドリ」か「ヒデリ」か――宮沢賢治「雨ニモマケズ」中の一語をめぐって』(書肆山田・本体1900円+税)=写真=だ。専門書に近い。いや、専門書と言ってもいい。店頭に置けば、ほこりをかぶること間違いない。

だいぶ前、賢治の「雨ニモマケズ」に出てくる「ヒデリノトキハナミダヲナガシ」の「ヒデリ」は、「ヒドリ」、つまり「日雇い仕事で得たカネ」のこと――という新解釈がなされた。これを全国紙が大きく報道し、〈へぇー、そうなのか〉と衝撃を受けた。それをすぐ思い出した。

手帳には確かに「ヒドリ」と書かれている。しかし、入沢さんはじめ、研究者は賢治が「ヒデリ」と書くところを「ヒドリ」と誤記したとして、『校本宮沢賢治全集』でも「ヒデリ」に直し、その旨を明記している。

その程度のことは知識として頭に入っている。「ヒドリ」騒ぎの顛末を知るのもいいか。しばらくぶりに食指が動いて「買った」となった。バイク氏の勝ちだ。一言でいえば、入沢氏が「ヒデリ」説を論証し、「ヒドリ」説を一蹴した本ということができる。

ここではそれよりなにより、バイク氏の、その書店の“ピンポイント攻撃”はなかなかのもの、恐れ入ったということを書きたかった。

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