2010年10月6日水曜日

トリーノ


日本野鳥の会のフリーマガジン「Toriino」(トリーノ)=写真=というものが届いた。初めて見る。同会のいわき支部長名で来たが、事務局長さんかだれかがこいつにも読ませよう、と出したのに違いない。ありがたいことだ。季刊誌らしい。

10月11日から、名古屋で「生物多様性条約締結国会議」(COP10 )が開かれる。それにあわせた活動の一環でもあるようだ。

不思議な写真冊子だ。「野鳥の会」のPR性がまったくない。写真は具象だが、文章は抽象といっていい。〈巻頭言〉が特にそうだ。

「生は、この刹那に直面する死を遣(や)り通して立つるもので、その積み重ねが時間的生を、すなわち人生を形作る。捨てて捨て身となって甦る生であれば、花も鳥も、風も月も、自らの人生そのものとなる。そこに得失是非はない」

中国の古典の森に分け入りながら、たぶん西洋哲学に通じた筆者が生物の多様性について語っている。難しい。でも、そういうことなのだと思う。心の深いところで自然と人間に向き合えば、ことは簡単ではないことが了解できる。

ただし、生物多様性とは人間から切り離された自然の領域の話、ではない。人間から切り離されて存在する自然はないし、自然から切り離されて人間が存在できるわけでもない。自然と人間は互いに影響し合っているのだ。それを踏まえたうえでの「生物多様性」である。と、少し難しいことを考えたのも、〈巻頭言〉の影響だろう。

0 件のコメント: