2011年1月6日木曜日

「鳥小屋」見学


隣の行政区から「鳥小屋」ができたので見に来ませんか、という案内状が届いた。「祝い酒、甘酒、おでん等を準備してお待ちしております」。なんだか、宮沢賢治の童話にあるような話ではないか。区長さん以下、役員数人が4日午後3時半ごろ、冬田の一角に建てられた「鳥小屋」を訪ねた。私は初参加だ。

いわきの人間には、「鳥小屋」は自明の正月行事だろう。が、阿武隈の山中で生まれ育った私は、行事の意味がしかとはつかめない。7日早朝、正月飾りとともに小屋を燃やして無病息災を祈る――ということは、新聞・テレビを通して知っている。それはしかし、表層的な理解であって、民俗学的にはまた違う解釈があるらしい。

平・中神谷西地区。農業を主にした、昔からの集落だ。その周辺に新しい家がぽこぽこ建った。もともとは一つの行政区だったのが、大きくなったので三つに分かれた。“分家”して北区と南区が生まれ、“本家”は西区になった。

西区の役員さんら数人が応対してくれた。この日は民話を聴く会が開かれ、木だんご飾り(木の枝に花餅をつける)が行われたために、自由参観は午後3時から。その時間に合わせての見学だった。

稲わらで囲った「鳥小屋」は、広さがざっと2間四方だろうか。孟宗竹で骨組をつくり、それを縄でくくっている。てっぺんのブルーシートは雨除けで、「お焚き上げ」の日にははずされる。その下、“屋根裏”にはゴザが敷き詰められている。床の中央には炉が切られ、古畳が敷き詰められていた。一角に神棚があり、向かって左側にユズ、右側にキンカン?が差してある=写真

囲炉裏には自在かぎがつるされ、コンニャクの入った鍋がかかっている。炉端の青竹は1メートル強。一カ所にふたが切られていて、日本酒を温めていた。それを、竹でつくったひしゃく、とっくり、さかずきで客にふるまう。甘酒もある。コンニャクは味噌田楽になる。ほかにもいろいろ酒のつまみが用意されている。

天井のゴザは、畳は燃やすのか。ゴザはそのまま燃やすが、畳は燃やさずに近くの清掃センターへ運ぶのだという。畳は燃えにくい。鳥小屋が灰になってもくすぶっている。そもそも畳屋からもらってきた古畳だ。最後に一働きして別の場所で「お焚き上げ」となる。

時折、薪(まき)の煙が部屋の中に広がった。民話を聴く会にやって来たこどもたちがそうだったように、久しぶりにいぶられ、涙目になった。

0 件のコメント: