2011年3月5日土曜日

『100年前の女の子』


いつか読まなくてはならない本がある――。買って読むか、図書館にリクエストして読むか。その1冊が、去年(2010年)出た船曳由美著『100年前の女の子』(講談社)だった=写真。新聞の読書欄に載ったときにそんな思いをいだいた。

月に一度、わが家のとなりに移動図書館「いわき号」が来る。いわき駅前のラトブのなかにある総合図書館へはよく行く。それで、だいたい用は足りる。が、移動図書館ならではの本がある。これは不思議だ。で、「いわき号」の本棚ものぞく。

ただ、今回は風邪に打ちのめされていたので、地域文庫(かべやぶんこ)をやっているカミサンが選んだ本をあとでながめた。そのなかに『100年前の女の子』があった。

著者の母親は大正時代に幼・少女期を過ごした。生まれてすぐ実母と引き離され(母は里に戻ってその子を産んだあと、嫁ぎ先に帰らなかった)、もらい乳をして生き延び、幼いままよそにあずけられ、あるいは養女にやられたあと、実家に戻る。そのあと、女の子は高女へ行き、東京へ出て働きながらさらに学ぶ。新渡戸稲造さんたちの薫陶も受ける――。

生い立ちはそうだが、本は、その母親が記憶している村の四季・暮らし・行事などを聞いて生き生きと再現した。著者は編集者だ。

日本のどこにでもあった昔なつかしい村のすがたが立ち現れてくる――という認識は、著者の弟の東大教授と同年齢の人間にも納得がいく。高度経済成長政策が村の暮らしをミキサーにかけ、肉体的にはきついがのどかな時間をシュレッダーにかけた。

そうなる前の、連綿と続いていた村の暮らし――。ランプのホヤ掃除、風呂の水汲み、放課後の清掃、イナゴ捕り、田植え手伝い、富山の薬売り。良し悪しではない。ランプのホヤ掃除を除けば、少なくとも団塊の世代までには共通の思い出ではないか。

私は、阿武隈の山中に独居していた母方の祖母の家での思い出が、なにか宝物のように思われてならない。春・夏・冬休みになると、何日かそこで過ごす。兄がいたときもあるが、たいていはひとりだった。『100年前の女の子』に出てくるランプのホヤ掃除、これを小4、あるいはもっと上のころ、兄とともにやった(やらされた)記憶がある。

ホヤ掃除は手の小さい子どもの仕事。布を手に巻きつけてホヤの内側の油煙を取ってからそうっとみがく――『100年前の女の子』の世界は、そのまま昭和30年代の、阿武隈の山の中の世界だった。と同時に、ホヤをみがくときの感覚が人さし指にもどってきた。口数少ない祖母の、温和なまなざしも。

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