2011年3月26日土曜日

原発難民①


【まえがき】
ほんとうは「あとがき」かもしれない。が、きのう(3月25日)のブログのとおり、一週間あまり「原発難民」だった。避難先の西郷村からいわき市へ戻ってきて2日目のおととい早朝、行きつけのスタンドで2時間余を待って(21台目=写真)、車のガソリンを満タンにした。

油が入れば心おきなく用を足すことができる。街へ出かけ、新聞販売店を回って、大震災以後、不配になっていた新聞を調達した。オープンしている医院に飛び込み、高血圧と尿酸の薬を処方してもらった。(テレビやラジオとは違って、新聞は一覧性がある。そこから広く、あるいは深く物事を考えるようになる。そのことをあらためて感じた)

帰りは夏井川の堤防に出た。半月ぶりに見る「わが心の川」だ。岸辺のヤナギが芽吹いていた。ハクチョウは北へ帰ったのだろう、姿はどこにもなかった。放射能が空から降ってくるというのに、いつもと変わらぬ服装で犬の散歩をしている人がいる。リスクは覚悟の上か。

きのう午後には水道も復旧した。久しぶりに風呂を楽しんだ。懸念材料が一つだけになった。残った一つは凶悪で、神出鬼没で、すぐ後ろにきたかと思うと、面前に来て笑っているかもしれない.――そんな「見えない敵」だ。

以下は本文、「東日本大震災」に発した「原発難民」の記。それは、あしたから。

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